サム・ライミもそりゃ意外だったけど「500日のサマー」の監督が「スパイダーマン」っていうのもまたよくわからない人選だよね。サム・ライミは結果として職人監督としての腕前を余すところなく見せてくれたわけだけど、マーク・ウェブはどうだったかな。
僕が「500日のサマー」でイヤだったのは結局主人公の男があれだけの(と言ってもただの)失恋を経て、老境にさしかかりなお、自分をふった1人の女を許せないでいるっていう「成熟を受け入れない姿勢」だったんですね。いい年こいたおっさんがグチグチ昔話をして失恋を総括できずに未だに引きずってる相手の女をビッチ呼ばわりしないと気がすまない、そういう子どもっぽさを自嘲気味に冷笑するっていうのがこの映画の正しい見方だったんだろうけど、僕は映画でも現実でもそういう「子ども=成熟を受け入れない大人」はあまり見たくないんです。脇役ならまだしもそういうのが主人公とか勘弁してほしい。
マーク・ウェブというのがそういう映画を撮って出てきた人だってことを踏まえて今度の「スパイダーマン」を見ると、やっぱりそのルサンチマンに満ちた手つき(笑)が出ちゃうのね。ピーター・パーカーは元々ヲタで新聞部でメガネでどう考えてもぱっとしないキャラなんだよね。で、普段からピーターのことをぞんざいに扱うバスケ部でイキッってるヤンキーがいて、こいつに一泡吹かせる描写で溜飲下げるのはお約束なんだけど、これが何とも居心地が悪いというか、スッキリしないんですよね。端的に言ってやり過ぎなんです。クモに刺されてイケメンキャラになってくパーカーはいい(オドオドしてたヲタが1人の男に成長していくっていう話でもあるわけだから)として、あの相手のキャラをあんなに卑屈な奴にしていく必要はないんですよ。やり返したらそこからは対等でいいじゃないですか。メジャーの監督になってあのときのあいつに仕返ししてやるっていうボンクラ感丸出しなところがダサいんですよ(そういう自分が客観視できてないからやり過ぎが「芸」になってないんです)。
ヲタリュックから携帯を取り出すとかいうディテールでは笑いとろうとしてるけど、こういうリアルなルサンチマンが丸出しになってるとたまに面白いこといっても笑えないんですね。ライミはここの微妙なさじ加減が絶妙だったと記憶してます。なんというか、ライミは大人なんですよ。マグワイアのオドオド感残しつつ、いざって言うときには「俺が守る」的な男らしさをちゃんと見せるっていう。それが非常にうまかった。グウェンとの恋も、育てのおじさん、おばさんとの関係も、エモーショナルな変化をちゃんと物語の推進力にしてたんですよね。たまたま超能力を手に入れたヲタが調子づいてるだけの今作に比べてライミの方は大人の映画だったなと振り返ったわけです。
余談ですが、原作でどうなってるか知りませんが、糸を出すギミックをガジェットに頼ったのも個人的にいただけませんでした。あんなお手製の機械じゃいざっていうときに信用できないし、オーガニックでこそスパイダーマンじゃないですか? あそこまで身体能力上がって、壁にへばりつけて、糸だけはギミックって、遺伝子操作の意味がなくない?好みの問題は別にしても、「クモ人間」という怪物への変容を外的に示唆する唯一のシルシなわけじゃないですか、糸が出るっていうのは。だから、大袈裟かもしれないけど「手首から糸が出る」という描写はパーカーが「怪物」として生きることの覚悟を引き受けることでもあるわけです。そういう意味でも今度のウェブ版スパイダーマンは「異形」として生きる覚悟を引き受けていないから薄っぺらかったんだという言い方もできると思います(一カ所、「マキロンか!」というツッコミ待ちのシーンがありましたが、そこは笑いました)
さらに余談で、あのトカゲモンスターはレプティリアンの存在を示唆しているとかいうオカルト畑の人が絶対いると思いますが、その意見には基本的に賛成ですw まとめると、まあまあ面白かったので星4つ(無理あるか)。見には行くと思うけど、続編とかもういいぜ。
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