2019年4月30日火曜日

平成最後のブログ更新

 10日ぶりに日本に帰ってきて、令和やら平成最後やらの文字がいたるところに踊っていて驚いた。

 僕は平成という時代を生きたという自覚が全くない。ただ昭和の延長戦が続いていたという感じだろうか。それはおそらく、王の死という自然現象によって無計画に始まったものだからかもしれない。誰もが「平成をこんな時代にしよう」と考えて始めたわけではないだろう。

 だがおそらく令和は違う。終わりを始めようという何者かの明確な意図を感じる。ますます生きづらい時代になるのだろうなという予感しかない。「世間」と距離を置いて生きるということがどこまで可能なのかはわからないが、そうするしかないだろうなという覚悟もあり、そこにはいくばくかの胸が小踊りする様な期待感もある。

2018年1月25日木曜日

西部邁

全日本で14歳の張本智和が水谷隼に勝って優勝し、西部邁が多摩川で入水自殺をした。何か、ひとつの時代が終わったのだなという感慨が押し寄せてきた。

著作に触れたことはないが、テレビ等のメディアでその発言や佇まいに触れ、ああ、インテリというのはこういう人のことを言うのだなと感じたことがある。「現象」に一切振り回されることなく、本質だけを見抜き、また、それを平易な言葉で私たちに伝えてくれた稀有な「文化人」だった。ただ、現実は見者の理想からはどんどん遠ざかっていってもはや引き返せないところまで来てしまったのだろう。

幸い多くの著書を残されているので読んでみたい。

2017年8月23日水曜日

Inter-active

ウェブを中心にインタラクティブなんてことがいわれるようになって久しいが、おぼろげに双方向性などと訳されたりするこの語に対する違和感っていうのが今さらながらわかった気がした。

映画でも音楽でも小説でも雑誌でもニュースでも料理でも、「作り手がつくって、受け手が見る(読む、聞く、味わう)」でとりあえずのコミュニケーションは達成されてないか、っていうことなんです。この場合の「見る」に代表される受け手の行為はInter-actionとは言えませんかっていうこと。

彼や彼女が「面白かった」とか「つまらなかった」とか「おいしかった」とか「感動した」という「感想を伝える」(ボタンを押す)ことがどれほど大事なのかと思うわけです。「それ」以上のことを期待するところに、この概念の誤謬があって、両者の関係を必要以上に複雑なものに、そして往々にして、不幸なものにしているのではないかと感じている次第です。

というようなことを「インタラクティブ」を連発する上司に伝えたかったんですが、その発話の受け手として、私がその場にいて、苦渋に満ちた面持ちで静かにそれを聞いていたということをもってインタラクションに替えさせていただきました。

2015年12月15日火曜日

生存報告

元気で生きてます。リアルで「ブログ読んでる」と数人の方から言われたことがあったので東京砂漠をサバイブしてるよって報告も兼ねて。

めちゃくちゃ本数は減ったけど見てることは見てる。
「岸辺の旅」「かみさまとのやくそく」「007 スペクター」。もっとあったかもしれないけど忘れちゃった。
感想はまた今度。

すっごい話が通じない人がいると、この人にはどんな経験が足りなかったんだろうって考える。あるいは、どんな想像を絶する経験をしたんだろうって。

周りの人を嫌な気持ちにさせたり、強引にその場を制圧しようとしたり、傍若無人に振る舞う人が許せないっていうのは小さいときから変わらない僕の特性みたいなものらしい。そういう人を見ると「罰したい」「身の程を思い知らせたい」という強い気持ちが湧く。本当は言葉が分からない赤ん坊みたいにスルーしたいんだけど、すごい怒りが湧いてしまう。でも、そうなっちゃうんだからしかたがない。
 

2015年5月21日木曜日

XD

忘れないうちに映画の感想を書いておこう。グザヴィエ・ドランが出色ですね。

■『セッション』 デミアン・チャゼル
アンドリューがドラムを叩いている廊下の奥の部屋にトラックアップしていくファーストショットの居心地の悪さにこの映画への期待は霧消した。フレーミング、カメラ位置、被写体に近づくスピード。そうしたひとつひとつがいちいちしっくりこないのは、おそらく文法的に間違っているのだろう(それは演出としての居心地の悪さではなく単に出来の悪さとも言い換えることができる)。そういうレベルの映画ということでそんなに騒ぐほどのことはないんじゃないかなと。画面より観念が見たい人向けの映画だよね。

■『バードマン』 アレハンドロ・G・イニャリトゥ
文字通りの舞台裏を縦横無尽に行ったり来たりするカメラはそれだけでも面白いけど、どこでカット割るんだろうってことが気になり出すと結構それに注意を持っていかれてしまう。『バットマン』の俳優が迎えた「中年の危機」を、「ハリウッドスターとしての成功」では得られなかった「アーティスト」としての評価を「ブロードウェイ」で得ることで乗り越えようとするっていうドタバタをワンカメ(に見える)で追っていくのはストーリーも見せ方も確かに巧いし感心もする。マーベルやSNSを揶揄しながらも、バズることで他者の承認を得る演劇人を描くほどほどに知的な態度にも感心する。爆笑問題の漫才みたいに感心する。けど以上。

■『薄氷の殺人』 ディアオ・イーナン
宮部みゆき原作とかそんな感じ。バラバラの遺体が各地で見つかるトリックはシャーロック・ホームズで似たようなのがあったね。中国東北地方という舞台が舞台だけに面白くなりそうなのになり損ねた感じがもったいない。北朝鮮の国境で牛骨振り回してた映画の方が断然面白かったなあ。石炭の工場とか寒そうなロケーションは抜群にいいんだけど、いかんせん話がメロウ過ぎた。

■『トム・アット・ザ・ファーム』 グザヴィエ・ドラン
シャブロル(とかオゾン的な)サスペンス感 meets デプレシャン的な緊張感のある家族関係。役者ドランも素晴らしい。こういうのをやらせても巧い、とは思うけど『わたしはロランス』や『Mommy』のむき出しで勝負してる感じと比べてしまうと、ドランにはこういうギミックは要らないのかなと思ってしまう。ドランのようなフィジカルエリートは得物持つより素手で勝負した方が面白いし、強い。

■『Mommy/マミー』 グザヴィエ・ドラン
スティーブを演じていた主演の男の子がすごい。何がすごいってホンモノにしか見えないというごく表層的な演技のレベルですごい。
個人的にはより普遍的な人間関係を描いてるという点で『ロランス』の方が好きだけど、『マミー』はたぶん同時代でユスターシュの『ママと娼婦』とか見てたらこれくらいの衝撃だったのかなというレベルのすごい映画だと思う。セリフがフランス語だから、パリ郊外くらいの感じで見てると、いきなり飛び込んでくるロケーションの非フランス感(=カナダ感)に突き刺される瞬間がある。この一作でドランは最も注目する監督になった。