10日ぶりに日本に帰ってきて、令和やら平成最後やらの文字がいたるところに踊っていて驚いた。
僕は平成という時代を生きたという自覚が全くない。ただ昭和の延長戦が続いていたという感じだろうか。それはおそらく、王の死という自然現象によって無計画に始まったものだからかもしれない。誰もが「平成をこんな時代にしよう」と考えて始めたわけではないだろう。
だがおそらく令和は違う。終わりを始めようという何者かの明確な意図を感じる。ますます生きづらい時代になるのだろうなという予感しかない。「世間」と距離を置いて生きるということがどこまで可能なのかはわからないが、そうするしかないだろうなという覚悟もあり、そこにはいくばくかの胸が小踊りする様な期待感もある。
僕は平成という時代を生きたという自覚が全くない。ただ昭和の延長戦が続いていたという感じだろうか。それはおそらく、王の死という自然現象によって無計画に始まったものだからかもしれない。誰もが「平成をこんな時代にしよう」と考えて始めたわけではないだろう。
だがおそらく令和は違う。終わりを始めようという何者かの明確な意図を感じる。ますます生きづらい時代になるのだろうなという予感しかない。「世間」と距離を置いて生きるということがどこまで可能なのかはわからないが、そうするしかないだろうなという覚悟もあり、そこにはいくばくかの胸が小踊りする様な期待感もある。