2012年3月15日木曜日

朝ログ

何か最近特に観念的に映画を見ることを積極的に自分に許している節があります。蓮實先生からの卒業と考えると、ちょうど小学校入学から大学卒業くらいまでですか。長かったですね。

というのも観念的に撮られた映画というのも普通にあると思うんですね。というかシネフィルじゃなくても映画は撮れるんだから。何も映画表現の固有性からのみ出発する必要はない。既成の文法にとらわれずに、撮りたい人が好きに撮ればいい。映画の愛し方っていうのは一通りではない。というか、愛してなくたって別にいいじゃん、と。俺とは愛し方が違うとか言ってわざわざ分離を生むようなことをするのはそもそも愛ではないんじゃないの、と。

この愛ではない一方通行の契約のようなものをより正確には執着と呼ぶわけですが、大抵の場合執着されてる相手っていうのは迷惑してますよね。映画も相当迷惑してるんだろうなぁとw

映画のようなメディアの場合、何かを「感じる」ということはすでに交感が成立していると思うんです。それってもう十分に愛っていう関係じゃないですか。まずはこの愛を享受すること。そこから出発すればまず間違いはないんじゃないかと思います。

ちなみにこの愛を受け損ねた人の愛の告白こそがヘイトであり呪いであるのだと思います。

2012年3月12日月曜日

耐えられない善人の鈍感さ

「ヤング≒アダルト」ジェイソン・ライトマン
大人になりきれない人たちを描いた映画にはもううんざりとか言いながらも、とかく饒舌に語りたくなるのはこの種の映画であるというあたりにワタスの限界があるんでしょうね。しかしこの「ヤング≒アダルト」、女優シャーリーズ・セロンの最高傑作じゃないでしょうか。

メイクも落とさずベッドの上に倒れ込むようにしておそらくは泥酔して寝ていたティーン向け小説(YA=ヤングアダルト)の作家メイビス(37歳独身)がミネアポリスの高層マンションの一室で目覚める遅い朝からこの映画は始まる。片付けられていないペットのえさの容器や、Tシャツの中に手を入れてヌーブラをベリベリと剥がす描写やプリンターの切れたインクカートリッジにあんなものを流し込んじゃうとか、ちょっと露悪趣味が過ぎるだろうって思って見てたんだけど、このくらいエキセントリックじゃないと、彼女の激しい「思い込み」が正当化されないという意味では正解なのかもしれない。前作の「マイレージ・マイライフ」よりも救いがないのは、ジョージ・クルーニーは男っていうのもあって彼が直面してたのは仕事一本で生きてきた男の所謂「ミッドライフクライシス」とも要約できるようなものだったと思うんだけど、今作は子無しバツイチ中年女ということでどちらかというと救いがない。美貌も翳り、ステディもおらず、人気連載も終了し、軽い自傷癖があり、心の友はアルコールと一匹の犬。救いは彼女の輝かしい青春時代にしかなかったというわけ
だ。

そんな折、輝かしい青春時代に付き合っていた元彼の第一子誕生の報をメールで受けた彼女は、元彼を取り戻すべく(この発想がまずおかしいのだがw)故郷マーキュリーに旅立つ。一夜を共にした男の腕を縄抜けのようにしてくぐり抜けたメイビスは寝起きの姿のままよれよれのキティちゃんTシャツでミニを走らせて故郷に向かう。故郷で最初に出会う知人が、この映画で唯一の良心とも言える、ハイスクール時代にメイビスとロッカーが隣だったというヲタ。こいつがただのヲタじゃなくてシャレにならないくらいの相当の訳ありで、青春暗黒時代とそこから逃れられない呪縛を背負ってしまっている。「プロムクイーンとして輝いていた」程度の女との対比としてはかなりバランスを欠いたカウンターパートなわけだが、このコントラストのアシンメトリーがマーキュリーでの物語の推進力にもなっているという点はとてもよくできていると思う。(この映画の真のラブストーリーとしての側面はそこにある)

このヲタ絡みの話で僕が好きというか嫌いというかとにかく見過ごせなかったのが、地元では一番イケてるというチェーンのレストランで元彼と再会してすぐのシーン。前述のヲタが店員として働いているために彼のことが2人の話題に上るのだが、ここでの温度差っていうのは非常に微妙で本来なら看過できないものであったはずだ。田舎のイケメン番長の彼は彼女が忌み嫌っているような田舎臭い無神経さ、鈍感さの象徴でもあったわけだ。ハイスクール時代には相対化できなかった「田舎臭さ」は以前と変わらないはずなのだが、「都会」で「(人気)作家」として生活するメイビスはそれを際立たせてしまう。だが彼女の病はそれを看過してしまう。彼女の目に映っていたのは青春時代の「彼」だったから。

クライマックスを待つまでもなく、この映画の「田舎ヘイト」描写は結構出色で、ファッションセンターシマムラみたいなところで「マーク・ジェイコブズはないの?」とか笑えるギャグはあるものの、基本的にはちょっと意地悪過ぎるんじゃないかっていうほど容赦ない。ただやっぱり「いい人」「悪気がない人」特有の無神経さはマジヘイトだよね(^_^;) 余談だけど、僕はこの手の話を見聞きする度に拳銃で自殺した兄を持つ弟に、その両親が弟を「喜ばせようと思って」拳銃をプレゼントしたというエピソードを思い出す。そこまでひどくはなくても想像力の欠如という意味では通底していると感じますね。

基本的にはメイビスは普通の人はまったく感情移入できないような鼻持ちならないクソビッチなんだけど、あるトラウマ体験の告白に至り、俺の中の「田舎者」ヘイトはメイビスと同時に沸点に達しましたね。メイビスの神経症的で都会的なシニシズムにどこか同情的だった俺勝利!w ラストの「カラー・オブ・ハート」を思わせるヲタの妹とのダイアローグはちょっと説明過多で要らないかなっていう気もしたけど、彼女のインスパイアがぶっ壊れたミニにかけられたエンジンだったと考えれば、故郷との決別を決定づけてくれた彼女の存在は必要だったのかもね。「ライフ・ゴーズ・オンもの」としてはかなり好きな部類の映画です。

念のためのエクスキューズだけど、ここで田舎っていうのはローカリティーのことじゃなくて、メンタリティーのことね。まあ両者は密接に関連しているのでエクスキューズにはならないかもしれませんね。(同じくらい都会の洗練やら社交やらも同じかもっとひどいくらいクソなんですが、それはまた機会があれば)

2012年3月11日日曜日

Fanatique ≒ Critique


たまには毛色の違った話も。

今日、知り合いに紹介してもらった仕立て屋さんで春夏物のジャケットを作ったんですが、初めてのフルオーダーで色々と教えてもらうことが出来ました。生地の話から、採寸の考え方、ボタンの位置、数、ポケットの仕様、切羽の起源などディテールの話も面白かったんですが、一番興味深かったのは日本の職人さんが絶滅の危機にあるという話でした。

生地を織る人、パターナー(型紙を作る人)、シャツ職人、スーツ職人、帽子職人、つまりファッションの分野で最高峰の技術を持つプロフェッショナルがそれぞれ数人ずつしかいなくてそれもみなさん高齢だというんですね。なんでそうなったか。理由は明らかなんです。

ユニクロに代表されるファストファッションの台頭ですね。一部ではファッションの敷居を下げたという評価を受けていますが、僕は当初からこの意見には反対でした。最近も別の分野の話で同じようなことを考えていましたが、間口を広げたから、つまりハードルが低くなったから入ってきた人たちっていうのは結局のところ深いところまで来ないんです。来れないし来るつもりもないんです。みんながみんな深いところまで来る必要はない、浅瀬で遊んでるのが楽しい人だっているんだっていうのはそのとおりだと思うんですが、浅瀬で遊ぶことの楽しさばかり喧伝することで、深いところに誰も来なくなってしまうんです。僕がハードルは下げるな、間口は広げるなっていうのはこのためです。

これまではどの世界でも中くらいのハードルっていうのがあったんですね。この中ぐらいのハードルをクリアしてきた人は、本来勝手にその世界の深いところまで行こうとするんだけど、低いハードルがあることで、そういう人たちまでもが深いところまで行かなくなってしまったんです。つまり、本当にいいものや面白いものに辿りつけなくなってしまった。

「消費者」の姿勢としてはそれで十分でしょう。本人が楽しければそれでいい。でも、本当にいいものや面白いものを知らない人っていうのは本当にいいものや面白いものを欲することができないんです。誰も欲しがらないから、それを作る人がいなくなりつつある。そしてジャンルの、業界の衰退、滅亡を招く。服飾だけじゃなくて伝統芸能でもエンターテインメントの世界でも同じことが起きている。と、まあそういうことです。

服の話に戻りますが、「洋服」の起源でもあるイギリスやイタリアでは国からの支援も打ち切られて(日本は元々ありませんが)、状況は日本よりも悪いそうです。ただ、このテーラーさんは採算度外視で職人さんの学校を設立して日本の服飾文化の存続に注力しているそうです。応援したいですね。どんな伝統のある文化・芸能も時代の趨勢にそぐわないものは淘汰されるべき運命にあるというのは簡単ですが、単純にそれってすごいもったいないことだと思いませんか?


余談になりますが、批評っていうのは「作り手が言われて面白くないことも含めて、あれこれ口出しすること」でそのジャンルの存続・繁栄に寄与することを旨としたプロフェッションだと思うんですね。逆に言えば批評家というのは「お前はみんなの役に立ってるから好き勝手言ってもいいんだよ」と、そういう資格を得た人のことですね。こういう仕事をしている人に私たちは「好き勝手言うだけの人」という烙印を押してしまった。そして、この「資格」にたいしても鈍感になってしまった。「批評家の不在」⇔「極めた人の不在」という負のスパイラルは、ジャンルの衰退という現象の断面図に大きな余白を作ってしまいましたね。

2012年3月9日金曜日

太陽フレアだなんだと言って

結局何も起きやしないじゃないか。
終末待望論者の無能ぶりにはもううんざりだ。

2012年3月5日月曜日

80分一本勝負

「おとなのけんか」ロマン・ポランスキー
アメリカに入国できないポランスキーがあえてニューヨークを舞台にした映画を撮るというのも面白いというか倒錯的なという気がするけど、舞台をロンドンにもパリにも変えないで、ニューヨークでアメリカ人の夫婦2組という設定でしか成り立たない脚本を選んだというのはこの映画を見ればよくわかる。この4人の人物造形は、アメリカ人であるということが前提にあるからね。

見所は何といってもケイト・ウィンスレットのゲロ。リベラルなインテリ風=ジョディ・フォスターが大切にしているココシュカ、ベーコン、フジタの画集に食べたばかりのコブラーとぬるいコーラのミクスチャーを盛大にかけるシーン。しかもリアルな吐瀉物の処理に結構な時間と手間をかけているのもよかったですね。「ゲロがリアルな映画にハズレはない」の法則がここでも発動してしまいました。

しかし、もはやこういう「痛い」キャラクター群を見せられても誰にも自己投影できないし共感もできない。響くところがない。あえて言えば、ジョディ・フォスターのスノビズムくらいなもんでw そうなってくるともういつ本音バトルが始まるのかとか冷や冷やしたりはできないんですね。誰のどんな発言が誰の琴線に触れようが、どんな顛末になろうがわりとどうでもいいヘ(^o^)ヘ。笑ってみてはいられるけど、まだそんなところにいるのかよ、もう2012年だぜって感じでね。すごいよくできてはいると思いますよ。

カルマとしてのアイドル

「DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る 」高橋栄樹
2011年3月11日の震災の日から大晦日の紅白歌合戦までを追った2011年のAKBのドキュメンタリー。イベントやライブの舞台、舞台裏と別撮りのインタビューという構成。

総選挙と西武ドームという2大イベントを柱に、被災地訪問、ジャンケン大会、チーム4の結成とある事件などをはさみながら「アイドルであるということの過酷さ」をかなりの至近距離から見せた力作。伝説の(かどうか知らないけど)西武ドーム2日目なんて「プライベート・ライアン」の冒頭を彷彿とさせるような戦場さながらの様相で、暑さと極度の緊張の中で疲弊し混乱し限界を越えたメンバーたちが次々に倒れては起き上がりステージに戻っていく。極めつけは過呼吸を起こしたままアンコールのステージに戻ったあっちゃん。文字通りショウは続く。幕は降りてくれないわけです。一瞬前まで肩を上下させて苦しそうにしていたのに自らがセンターを務めるフライング・ゲットの一拍目の決めのポーズで笑顔で両手を広げて立ち上がるという奇跡的なシーンを舞台正面から望遠で押さえたショットには鳥肌立てながら泣きました。

この映画の謂いは「実はアイドルって結構大変なんですよ」なんてもんじゃないんですね。「あなたがたの消費は彼女たちのこのとてつもない苦しみの上に成立している。それでもあなたはアイドルファンであることを続けるか? つまり彼女たちが苦しみ続けることを望むのか?」という問いですね。確かにここまで描いたのはすごい。ただし一方で、これ以上はもう見せないよっていう秋元康の(?)マニフェストとも受け取れるんですね。もっとどろどろした部分もあるんだけど、そこは不問に付してくれという訴えにも見えてしまうわけです。ここまで見せたんだからもういいでしょう、と。

僕は個人的には、死人とか廃人が出る前にやめた方がいいと思いましたけど、「あの場所でしか輝けない人」がいるとしたらその権利を奪うというのも酷なのかなという気もする(あっちゃんとかたかみなを見ているとそれを強く感じる)。まあとりあえずの結論としては、プロデュースする側もコンシュームする側も後先考えずに焼き畑農業的に、享楽的にむさぼり食うのだけはやめようよっていうところかな。


「顔のないスパイ」マイケル・ブラント
確実に及第点はクリアしてきてるんだけど、あれこれいいにくい映画なんだよなぁ。元CIAのリチャード・ギアが追っていた伝説の殺し屋カシウスが10年ぶりに姿を現した(同じ手口の犯行で議員が殺された)ということで急遽古巣に呼び戻される。そこでカシウスを修論のテーマにしたという若いFBI捜査官(トファー・グレイス)と組まされて捜査に駆り出される。わりと序盤でカシウスの正体が明らかにされるんだけど、そこからのサスペンスもわりと見せるのでうまい作りだったと思う。以上w