2012年3月11日日曜日

Fanatique ≒ Critique


たまには毛色の違った話も。

今日、知り合いに紹介してもらった仕立て屋さんで春夏物のジャケットを作ったんですが、初めてのフルオーダーで色々と教えてもらうことが出来ました。生地の話から、採寸の考え方、ボタンの位置、数、ポケットの仕様、切羽の起源などディテールの話も面白かったんですが、一番興味深かったのは日本の職人さんが絶滅の危機にあるという話でした。

生地を織る人、パターナー(型紙を作る人)、シャツ職人、スーツ職人、帽子職人、つまりファッションの分野で最高峰の技術を持つプロフェッショナルがそれぞれ数人ずつしかいなくてそれもみなさん高齢だというんですね。なんでそうなったか。理由は明らかなんです。

ユニクロに代表されるファストファッションの台頭ですね。一部ではファッションの敷居を下げたという評価を受けていますが、僕は当初からこの意見には反対でした。最近も別の分野の話で同じようなことを考えていましたが、間口を広げたから、つまりハードルが低くなったから入ってきた人たちっていうのは結局のところ深いところまで来ないんです。来れないし来るつもりもないんです。みんながみんな深いところまで来る必要はない、浅瀬で遊んでるのが楽しい人だっているんだっていうのはそのとおりだと思うんですが、浅瀬で遊ぶことの楽しさばかり喧伝することで、深いところに誰も来なくなってしまうんです。僕がハードルは下げるな、間口は広げるなっていうのはこのためです。

これまではどの世界でも中くらいのハードルっていうのがあったんですね。この中ぐらいのハードルをクリアしてきた人は、本来勝手にその世界の深いところまで行こうとするんだけど、低いハードルがあることで、そういう人たちまでもが深いところまで行かなくなってしまったんです。つまり、本当にいいものや面白いものに辿りつけなくなってしまった。

「消費者」の姿勢としてはそれで十分でしょう。本人が楽しければそれでいい。でも、本当にいいものや面白いものを知らない人っていうのは本当にいいものや面白いものを欲することができないんです。誰も欲しがらないから、それを作る人がいなくなりつつある。そしてジャンルの、業界の衰退、滅亡を招く。服飾だけじゃなくて伝統芸能でもエンターテインメントの世界でも同じことが起きている。と、まあそういうことです。

服の話に戻りますが、「洋服」の起源でもあるイギリスやイタリアでは国からの支援も打ち切られて(日本は元々ありませんが)、状況は日本よりも悪いそうです。ただ、このテーラーさんは採算度外視で職人さんの学校を設立して日本の服飾文化の存続に注力しているそうです。応援したいですね。どんな伝統のある文化・芸能も時代の趨勢にそぐわないものは淘汰されるべき運命にあるというのは簡単ですが、単純にそれってすごいもったいないことだと思いませんか?


余談になりますが、批評っていうのは「作り手が言われて面白くないことも含めて、あれこれ口出しすること」でそのジャンルの存続・繁栄に寄与することを旨としたプロフェッションだと思うんですね。逆に言えば批評家というのは「お前はみんなの役に立ってるから好き勝手言ってもいいんだよ」と、そういう資格を得た人のことですね。こういう仕事をしている人に私たちは「好き勝手言うだけの人」という烙印を押してしまった。そして、この「資格」にたいしても鈍感になってしまった。「批評家の不在」⇔「極めた人の不在」という負のスパイラルは、ジャンルの衰退という現象の断面図に大きな余白を作ってしまいましたね。

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