およそシンクロニシティといったものは、恣意的にあれとこれを結びつけるだけの作業にすぎず、驚くべきはあらゆる事象がまさに共時的に進行しているということだ。その中から、自分にとって意味のある(かのように見える)ものをより分ける作業に何の意味があるんだろう。点が3つあれば顔に見える(シミュラクラ現象)ように、ある事象が自分に馴染みの何かに見えたとしてそれに注目することには何の意味もないと思う。その瞬間に起きていないことなどないのだから、意味はすべてにこそあるのだ。
2014年6月24日火曜日
生きてるだけで恥さらし
例外なく誰もが己の頭の悪さ、育ちの悪さ、教養のなさ、品のなさ、センスのなさを、歩いたり、食べたり、話したり、書いたりすることで否応なく露呈してしまっているのだから、それ以上の罰はないと思うんだが。
ただ、そういう自覚なしに生きてる人はやっぱり罰に当たってもいいかな(笑)
せっかくだから、こうも言い換えておこうか。
例外なく誰もが己の頭の良さ、育ちの良さ、教養の深さ、品の良さ、センスの良さを、歩いたり、食べたり、話したり、書いたりすることで否応なく露呈してしまっているのだから、それ以上の誉れはないと思うんだが。
つまり、生きているだけで諸々を露呈してしまっているということを自覚するのは当然のこととして、大事なのは代入可能な値にジャッジを左右されないこと。そこに入る値がー100でも100でも、それに対して意味づけも解釈も必要ない。意味づけも解釈もしてもいいけど、目盛りがある数値を指しているっていう事実に恣意的に意味を見出しているのは自分だっていうことは忘れちゃダメだ。つまり、わりとどうでもいいってこと。
ただ、そういう自覚なしに生きてる人はやっぱり罰に当たってもいいかな(笑)
せっかくだから、こうも言い換えておこうか。
例外なく誰もが己の頭の良さ、育ちの良さ、教養の深さ、品の良さ、センスの良さを、歩いたり、食べたり、話したり、書いたりすることで否応なく露呈してしまっているのだから、それ以上の誉れはないと思うんだが。
つまり、生きているだけで諸々を露呈してしまっているということを自覚するのは当然のこととして、大事なのは代入可能な値にジャッジを左右されないこと。そこに入る値がー100でも100でも、それに対して意味づけも解釈も必要ない。意味づけも解釈もしてもいいけど、目盛りがある数値を指しているっていう事実に恣意的に意味を見出しているのは自分だっていうことは忘れちゃダメだ。つまり、わりとどうでもいいってこと。
2014年6月16日月曜日
更科のスティーブ・ブシェミ
「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」コーエン兄弟
「グランド・ブダペスト・ホテル」を見ようと思ったら、TOHOの日とかでシャンテは夜の回まで満席。しかたなくということでもないけど、見ようとは思っていたコーエン兄弟の新作に。
「猫が行方不明」in NY '60。呼吸するように見ることができてしまう映画だった。それはフックがないっていうことではまったくないんだけど、何の不安もなく100分間その中にいられるような映画というか。主人公のオスカー・アイザックがよかった。才能があって人がよくて詰めが甘くてプライドが高いフォークシンガーを本当にそのものみたいにうまく演じていた。相棒を失って傷心のルーウィンに矢継ぎばやにふりかかる小さな災難、ちょっとずつ歯車が狂って何もうまくいかない。こういうときってある。でも、困難な今を乗り越えて彼は必ずタフガイになる。そういう確信を感じさせてくれる作品だった。
宿も定職もないところに来て発覚するガールフレンド(友人の彼女)の妊娠(程よいビッチ感の漂うキャリー・マリガン)、預かった猫に逃げられ、シカゴへのジャズミュージシャンとの悪夢のようなドライブ、雪のシカゴでは足を水たまりに突っ込み、かつて堕胎したはずのガールフレンドが出産していたと知らされ、亡くした相棒のパートをハモってくるリベラルな東海岸インテリ妻(あのメガネとか絶妙でしょ笑)を罵倒する。螺旋階段を上るように時間は進んでいく。
コーエン兄弟の中でも結構すきな部類の映画だな。そういえば最近コーエン兄弟作品で見なくなったけど、ブシェミは元気だろうか。会社の近くの更科そばの女将さんがブシェミにそっくりなんだけど、それを誰も共有してくれない(そもそもブシェミを知らない!)ので、亡くなるか引退する前に誰か連れて行こうと思う。そばはうまくもまずくもない。
「ノア 約束の舟」ダーレン・アロノフスキー
「グランド・ブダペスト・ホテル」を見ようと思ったら、21時の回も満席だったのでしかたなく。予告編で見て、何でこのテーマでこんな筋肉バカ映画にできるんだよと思ったけど、予想してたよりはちゃんとまとまってた。でも、ノアって信仰心と家族への愛を秤にかけられるようなエピソードじゃなかったという気が……。
神様が地球を浄化するために40日間雨を降らせ続けたっていう非キリスト教徒にもおなじみのエピソード。雨と言えば真っ先にルイス・マイルストンの「雨」が想起されるが、個人的に最も印象深いのは小津の「浮草」の京マチ子と中村雁治郎の喧嘩のシーン。通りをはさんで軒下でにらみ合う2人の切り返しは何度見ても素晴らしい。ムルナウの「サンライズ」の小舟で嵐に遭うシーンもすごかった。この映画もメチャクチャ降ってたけど、映画史に残らない雨だったね(笑)。
すべてを洗い流すデトックス感が味わいたいという方には、しりあがり寿の傑作「方舟」をお勧めします。あのカタルシスは半端ない。ところであんな直方体の舟ってちゃんと水平に浮くの?
「グランド・ブダペスト・ホテル」を見ようと思ったら、TOHOの日とかでシャンテは夜の回まで満席。しかたなくということでもないけど、見ようとは思っていたコーエン兄弟の新作に。
「猫が行方不明」in NY '60。呼吸するように見ることができてしまう映画だった。それはフックがないっていうことではまったくないんだけど、何の不安もなく100分間その中にいられるような映画というか。主人公のオスカー・アイザックがよかった。才能があって人がよくて詰めが甘くてプライドが高いフォークシンガーを本当にそのものみたいにうまく演じていた。相棒を失って傷心のルーウィンに矢継ぎばやにふりかかる小さな災難、ちょっとずつ歯車が狂って何もうまくいかない。こういうときってある。でも、困難な今を乗り越えて彼は必ずタフガイになる。そういう確信を感じさせてくれる作品だった。
宿も定職もないところに来て発覚するガールフレンド(友人の彼女)の妊娠(程よいビッチ感の漂うキャリー・マリガン)、預かった猫に逃げられ、シカゴへのジャズミュージシャンとの悪夢のようなドライブ、雪のシカゴでは足を水たまりに突っ込み、かつて堕胎したはずのガールフレンドが出産していたと知らされ、亡くした相棒のパートをハモってくるリベラルな東海岸インテリ妻(あのメガネとか絶妙でしょ笑)を罵倒する。螺旋階段を上るように時間は進んでいく。
コーエン兄弟の中でも結構すきな部類の映画だな。そういえば最近コーエン兄弟作品で見なくなったけど、ブシェミは元気だろうか。会社の近くの更科そばの女将さんがブシェミにそっくりなんだけど、それを誰も共有してくれない(そもそもブシェミを知らない!)ので、亡くなるか引退する前に誰か連れて行こうと思う。そばはうまくもまずくもない。
「ノア 約束の舟」ダーレン・アロノフスキー
「グランド・ブダペスト・ホテル」を見ようと思ったら、21時の回も満席だったのでしかたなく。予告編で見て、何でこのテーマでこんな筋肉バカ映画にできるんだよと思ったけど、予想してたよりはちゃんとまとまってた。でも、ノアって信仰心と家族への愛を秤にかけられるようなエピソードじゃなかったという気が……。
神様が地球を浄化するために40日間雨を降らせ続けたっていう非キリスト教徒にもおなじみのエピソード。雨と言えば真っ先にルイス・マイルストンの「雨」が想起されるが、個人的に最も印象深いのは小津の「浮草」の京マチ子と中村雁治郎の喧嘩のシーン。通りをはさんで軒下でにらみ合う2人の切り返しは何度見ても素晴らしい。ムルナウの「サンライズ」の小舟で嵐に遭うシーンもすごかった。この映画もメチャクチャ降ってたけど、映画史に残らない雨だったね(笑)。
すべてを洗い流すデトックス感が味わいたいという方には、しりあがり寿の傑作「方舟」をお勧めします。あのカタルシスは半端ない。ところであんな直方体の舟ってちゃんと水平に浮くの?
2014年6月13日金曜日
フューチャー&パスト、ハイ&ロー
「X-MEN フューチャー&パスト」ブライアン・シンガー
「X-MEN」は前作の「ファースト・ジェネレーション」が大傑作だったので、続けてマシュー・ボーンに撮ってほしかったけど、監督はシンガーに戻りましたね。まあ安定感はあるけど、突き抜けてはいないよなあ。
タイムシフトを兼ねたラストミニッツレスキューもので、細かいところを気にしなければよくできていると思う。しかし、アクション映画として何とも物足りなかったのが、冒頭で大暴れするセンチネルがすごい魅力的かつ強すぎる敵として出てくるんだけど、結局このセンチネルと戦って勝つっていうシーンがないんだよね。そもそも、無理ゲー過ぎるから過去にタイムシフトして現在を変えようっていう話だからしかたないんだけど……。
今回も描かれている時間の幅、タイムスパンは大きいんだけど、歴史的重層感っていう点から言っても圧倒的に「ファースト・ジェネレーション」の方が厚みがあったなあ。個人的には「X-MEN」シリーズには単なる娯楽大作として消費されるだけで終わるような作品群にはなってほしくないので、エジプトっぽいラストシーンから連なる次回作に期待。
「ファースト・ジェネレーション」の感想はこちら。
http://sokozero.blogspot.jp/2011/07/sf.html
「とらわれて夏」ジェイソン・ライトマン
「マイレージ・マイライフ」「ヤング≒アダルト」とここ2作が出色の出来映えだったジェイソン・ライトマンの新作。コミカルなタッチの前2作と比べると、かなりシリアスに振ってきた感があるが、演出力があるってこういうことなんだなあっていうのを実感した1本になった。
冒頭のスーパーマーケットのスリリングな展開から、押しかけてきた脱獄囚にひきこもりがちな母子家庭の母親が心を開くまでの序盤がまず素晴らしい。夏の汗ばんだ肌にまとわりつくような暑さを通奏低音に、3人が一軒家で過ごす濃密な非日常を丁寧に描写する。特に印象的だったのが、1階と2階をつなぐ階段を生かした演出だ。ブローリンとウィンスレットの関係が急速に濃密になるピーチパイの夜をはじめ、息子がブローリンの寝顔をのぞき込むシーン。そして、ブローリンの回想シーン。さらに、サイレンの音を聞くラスト近くと、「事件」は常に階段で起きているといっても過言ではない。
思い返せば、「マイレージ・マイライフ」でクルーニーが「気の迷い」から出張先で出会った女の家を訪ねてしまうシーン。「ヤング≒アダルト」で元ボーイフレンドのホームパーティーでセロンが白いブラウスに赤ワインを浴びるシーンも、階段ではないが印象的な高低差があった。ともに、最高のクルーニー感、セロン感が味わえるシーンだ。
結局、マウントを取り合うような垂直方向の人間関係が彼らを苦しめるわけだけど、最後には見事にそこから卒業していくっていうのは美しすぎる見方かな(笑)。全然違う文脈だけど、パン屋の粉だらけのマウスとか、ああいうディテールにわけもなく涙が出る。一瞬しか映らないが素晴らしい質感だった。
「ヤング≒アダルト」
http://sokozero.blogspot.jp/2012/03/blog-post_12.html
「マイレージ・マイライフ」
http://sokozero.blogspot.jp/2010/03/blog-post_24.html
「X-MEN」は前作の「ファースト・ジェネレーション」が大傑作だったので、続けてマシュー・ボーンに撮ってほしかったけど、監督はシンガーに戻りましたね。まあ安定感はあるけど、突き抜けてはいないよなあ。
タイムシフトを兼ねたラストミニッツレスキューもので、細かいところを気にしなければよくできていると思う。しかし、アクション映画として何とも物足りなかったのが、冒頭で大暴れするセンチネルがすごい魅力的かつ強すぎる敵として出てくるんだけど、結局このセンチネルと戦って勝つっていうシーンがないんだよね。そもそも、無理ゲー過ぎるから過去にタイムシフトして現在を変えようっていう話だからしかたないんだけど……。
今回も描かれている時間の幅、タイムスパンは大きいんだけど、歴史的重層感っていう点から言っても圧倒的に「ファースト・ジェネレーション」の方が厚みがあったなあ。個人的には「X-MEN」シリーズには単なる娯楽大作として消費されるだけで終わるような作品群にはなってほしくないので、エジプトっぽいラストシーンから連なる次回作に期待。
「ファースト・ジェネレーション」の感想はこちら。
http://sokozero.blogspot.jp/2011/07/sf.html
「とらわれて夏」ジェイソン・ライトマン
「マイレージ・マイライフ」「ヤング≒アダルト」とここ2作が出色の出来映えだったジェイソン・ライトマンの新作。コミカルなタッチの前2作と比べると、かなりシリアスに振ってきた感があるが、演出力があるってこういうことなんだなあっていうのを実感した1本になった。
冒頭のスーパーマーケットのスリリングな展開から、押しかけてきた脱獄囚にひきこもりがちな母子家庭の母親が心を開くまでの序盤がまず素晴らしい。夏の汗ばんだ肌にまとわりつくような暑さを通奏低音に、3人が一軒家で過ごす濃密な非日常を丁寧に描写する。特に印象的だったのが、1階と2階をつなぐ階段を生かした演出だ。ブローリンとウィンスレットの関係が急速に濃密になるピーチパイの夜をはじめ、息子がブローリンの寝顔をのぞき込むシーン。そして、ブローリンの回想シーン。さらに、サイレンの音を聞くラスト近くと、「事件」は常に階段で起きているといっても過言ではない。
思い返せば、「マイレージ・マイライフ」でクルーニーが「気の迷い」から出張先で出会った女の家を訪ねてしまうシーン。「ヤング≒アダルト」で元ボーイフレンドのホームパーティーでセロンが白いブラウスに赤ワインを浴びるシーンも、階段ではないが印象的な高低差があった。ともに、最高のクルーニー感、セロン感が味わえるシーンだ。
結局、マウントを取り合うような垂直方向の人間関係が彼らを苦しめるわけだけど、最後には見事にそこから卒業していくっていうのは美しすぎる見方かな(笑)。全然違う文脈だけど、パン屋の粉だらけのマウスとか、ああいうディテールにわけもなく涙が出る。一瞬しか映らないが素晴らしい質感だった。
「ヤング≒アダルト」
http://sokozero.blogspot.jp/2012/03/blog-post_12.html
「マイレージ・マイライフ」
http://sokozero.blogspot.jp/2010/03/blog-post_24.html
2014年6月7日土曜日
インドネシアのフェリーニ
◼︎「アクト・オブ・キリング」 ジョシュア・オッペンハイマー(ネタバレあり)
1960年代のインドネシアで共産主義勢力が当時人気のあったハリウッド映画の上映を禁止したことで、観客に割高のチケットを売りつけることを生業としていたアンワルは収入源を奪われることになる。ただのダフ屋が殺人鬼になったきっかけが映画だったというのはただの偶然だろうか?
そうではないというのがこの映画の謂だという気がする。彼の中に眠っていたマグマのような罪悪感を露わにするのは、おそらく多くの観客が半笑いで眺めていたであろうアンワル自身の手になる自主制作映画なのだ。彼自身が脚本を手がけ、演出し、尋問し拷問し処刑した共産主義者を演じ、さらにそれを観客として見ることで彼は自ら地獄の釜のふたを開けてしまう。
彼はなぜかくも「余計なこと」をしてしまったのだろうか?彼が撮影のために呼び寄せたかつての同志は、有名になれるならハーグの国際司法裁判所にも出向いてやるよとうそぶくが、そんな同志に比べてアンワルはあまりにナイーブに映る。
針金による処刑を再現するシーンを確認して、白いパンツを履いていたことを後悔するという倒錯的な洒脱さ、悪夢を振り払うために踊っていたというチャチャチャの瀟洒なステップ、孫に対するあられもない慈しみ。彼が大量殺人を犯したからこそ、その異様さは際立つのだが、それらは単に異様さを際立たせるためのギミックだったわけではない。
彼は洒落者で、繊細で、優しさに満ちた映画好きの殺人者だったのだ。彼に異常殺人者のレッテルを貼ることも、時の為政の犠牲者であったとヒューマニスティックに解釈することもこの映画は拒んでいる。
50年の時を経て、英雄として人生の幕を引くことを良しとしなかったのは、彼自身の選択というよりも、彼を殺人鬼にしてしまった「映画」の恩返しだったんじゃないだろうか。
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