実は山下敦弘見たことありませんでした。イマイチ食指の動かない系の映画を撮ってて「リンダリンダリンダ」なんかは見ててもいいはずなんだけど、微妙に避けてました。それに納得した部分と、見ておいてもよかったなと思った部分があります。
原作の西村賢太は芥川賞の授賞式で「賞金で久しぶりに風俗に行きます」とか言っちゃう系の人だから、未読だけど大体の感じはつかめてて映画のテイストはその通りだった。実際は屈折の仕方が予想以上でそこが一番面白かったかな。中卒で人とまともな人間関係結んだことがなくて飯食ってタバコ吸って風俗行っての繰り返しが日常の日雇い肉体労働者。ちょっと責任の重い仕事割り振られたりするとすぐ逃げちゃうし、ルサンチマン丸出しでくだ巻いて絡むし最悪な奴なんだけど、こいつがちょっと人と違ったのはすごい本が好きだったってこと。
北町貫多という名前も西村賢太のあまり気の利いていないもじりだし、自伝的要素がふんだんに盛り込まれていることは想像に難くない。まあ、主人公が作家本人である以上、この映画の終着点が「書き始めること」であることもまた想像に難くないわけだ。だから、この映画は1本丸々書くことへの動機付けにならなくちゃいけない。ひとつひとつのエピソードは面白いし、森山未來のダメな奴芝居もすごく魅力的なんだけど、結局じゃあ何で書き始めたの?っていうところでその蓄積が足りてないんじゃないかと思うんだよね。
貫多が海岸で穴に落ちてアパートのゴミ捨て場に降ってきて、動物的に書き始める一連の描写はすごく好きなんだけど、あそこはもっとエモーショナルな盛り上がりがあるべきシーンだった。正直泣きたかったけど泣けなかった。その一因は書くことのモチベーションが十分に描かれなかったってことと、書き始めた森山未來の裸の背中にもあったんじゃないかという気がします。肉体労働者だから筋肉質なのはいいんだけど、森山未來の体にはだらしなさがまったくないのね。もちろん、ダンサーだから仕方がないんだけど、それが一番あらわになるのが背中だと思うんです。実際、すごい細かい筋肉が丁寧についてて、それは粗野なマチスモとはかけ離れた洗練を思わせる背中なんですよ。面白いもの書きそうな背中ではあるんだけどね。
というわけで、あのシーンは何か一枚羽織らせた方がよかったと思います。高良健吾の彼女(下北沢在住)を相手に居酒屋で、ヨダレを垂らしながら世田谷・杉並在住の田舎者・サブカル・ニューアカをまとめてディスるシーンは感動的でした。いい映画でした。
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