2009年10月5日月曜日

誰得の多様性

誰のための多様性か?

「画一的であること」が支配者のために奉仕することは間違いない。それが恐怖や洗脳を伴うものでなければ、被支配者にとってもそれはパラダイスかもしれない。全体主義を望む被/支配者が多様性を排除しようとするのは非常に合理的な態度だと言える。

一方、「多様であること」の必要性を訴えるのは、いつも(既に)多様である者だ。ノット・ストレート、少数民族、罹病者、ニート、独身……つまりマイノリティ一般。ただ、その多様性は多くの場合、マジョリティに向かってのみ訴えられる。ゲイは異なるセクシュアリティを排除し、少数民族は他の少数民族と争い、目くそは鼻くそを嗤う。

つまりそこで訴えられているのは多様性などではなく、単なる自己承認要求に過ぎないんじゃないか。真の多様性を望むものはどこにいるだろうか。この項、続く。

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