ランボーの詩の一節に続いてトランジットのシャルル・ド・ゴール空港をひとりで歩くイザック・ド・バンコレを見たときから久しぶりに「うわ、『映画』」という懐かしい感慨に襲われた。
この一節からも感じられるように、ランボーもおそらく開いちゃってた人だったんだと分かった。で、空港を歩くバンコレはまだ船曳の導きを必要としていて、そこから解放されていく映画なんだろうということが最初の数ショットで示されるという心が躍るような予兆。
結果はその通りと言えばその通りなんだけど、ジャームッシュには珍しく強烈なメッセージ性をはらんだこの映画には、観た人の存在そのものに揺さぶりをかけるような過激さを感じる。とりあえずは言葉を操り「思考」してみるが、それではたどり着けないところに導かれようとしているということにすぐに気づくはずだ。
「思考」の枠の外に出ること。そこがスタート地点。それは感性なんていう曖昧で胡散臭いものではなく、もっと確かでもっと広大な、すべてのものと隣り合っているような何かだろう。それこそを知性と呼びたいんだが、明日から戻る現実社会はなかなかそれを許してくれないように感じる。
http://white-screen.jp/2009/09/the_limits_of_control.php
返信削除監督のインタビュー。読むともう一回観にいきたくなるなあ。色々確かめに。
じゃあ、行くベ。
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