2009年10月26日月曜日

神秘主義と科学主義

多様性、恒常性、動的平衡……。このところ考えていることは、おそらく何かの周辺をらせん状に旋回しながらその中心部に近付いているような気がしている。

神秘主義は真理探究へのショートカットにはなりうると思っていたが、天啓のようなひらめきが訪れない限り、着実で地味な努力の積み重ねが要求されるという点では、他のアプローチ(哲学、思想、医学、心理学、精神医学、物理学、生物学、文学、音楽、スポーツ、芸術、武道)とそう変わらない。ただ、その柔軟性(裏を返せば厳密さの欠如だが)においては秀でていると思うし、厳密さを犠牲にして初めて可能になる飛躍があると思う。純粋に真理探究を第一の目標と設定している以上、つまらないプライドやエゴを優先させる必要はないし、評価や承認(市場の評価やお偉方のお墨付き)も必要ない。

神秘主義が非合理を前提としている(かに見える)ことを執拗に非難する人(大槻教授
a.k.a.プラズマ博士など)は結局、自分のいる世界が、自分の寄って立つところの理論のコントロール下にないと安心できないから、それを脅かすような理論やそれを訴える人は排除しなければ自身の身が危ういのだ。だから、単に「知性の欠如」と笑って済ますことができないある種の神経症的な敏感さは(鈍感さよりは)むしろ評価に値する。

「宇宙はひとつ」と「タミフルは安全」はそれを受け入れるか受け入れないかという選択を迫るという点では何ら変わらないひとつのテーゼだ。異なる点があるとすれば神秘主義は「『宇宙はひとつ』であることを、あなたも知ればいよい(もしくは、既に知っている)」というのに対して、科学は「タミフルが安全であることを身をもって知ってほしい」と言う前に「タミフルが安全であることを信じてほしい」と声高に叫ぶ。

客観性という恣意的な選択に支えられてきた科学はおそらく数百年以上も信仰の対象でしかない。宗教がそうであったように、科学も多くの知恵を授けてくれた。ある種の知恵を軽視することで成立するスノビズムがあるが、これは自分が何を怖れているのかを改めて知る機会にほかならない。

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