「宇宙人ポール」グレッグ・モットーラ
早稲田松竹はわりとこういう誰もが考えつくようなベタな2本立てをやってくれるのでうれしい。
「未知との遭遇」は赤く褪色した傷だらけのひどいプリントだったけど、スクリーンで見ることができたのは素直にうれしかった。昔レンタルのVHSで見たときは、これほどリチャード・ドレイファスが追い詰められているという印象は受けなかった。記憶に焼き付いていて幾度となく真似をした「マッシュポテトでデビルズ・タワー」のシーンもコミカルな要素はまったくなく、むしろ家庭の破綻を決定づけるようなシーンだったのだ。
インドの僧侶たちの合唱から例の音階を導き出すトリュフォーの学会発表がまったくといっていいほど意味不明な上に拍手喝采で終わるというシーンがあんなに荒唐無稽だったかなとか、バリー坊やの演技がめちゃくちゃうまいとか、バリー坊やのお母さんとリチャード・ドレイファスが疑似恋愛的な関係にあったとか、ディテールで新たな発見ができたところは非常に面白かった。
「宇宙人ポール」は今年のベスト3には入る1本と思っていたのだが、「未知との遭遇」と並べてしまうとどうしてもその小品ぶりが否定しがたく浮き彫りになってしまう。面白いし、よくできてはいる。センスもいいし笑えるし泣ける。「未知との遭遇」のようなデタラメさや破綻はまったくない。それでもどちらが映画として面白いかと問われれば間違いなく「未知との遭遇」ということになってしまう。
何というか注ぎ込まれたエネルギーの総量が違うのだ。もちろん「ポール」をつくった人たちの「本気」もわかるし、希有な才能が結集しているということはよくわかる。ただ僕が心打たれるのはデビルズ・タワーのイメージに取り憑かれてしまったリチャード・ドレイファスのように「宇宙人との第3種接近遭遇を描く」ことに取り憑かれてしまった人々の情熱なのだ。その情熱は「感動」とも「観客動員数」とも無縁のところで制御しがたく作動してしまったものだ。どんなにいびつでも完成度が低くても、僕が好きなのはこんな風にして「できてしまった映画」なのだということを再確認した。
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