アセンションイヤーのはじまりはじまり。
■「マネーボール」 ベネット・ミラー
「カポーティ」の監督だ。そういえば見逃したてたな。演出はうまいけど絵が記憶に残らない。ひとつひとつは面白い断片的なエピソードがエモーショナルな高まりを喚起しない。「そういう風につくってるから」って言うなら「そんな風につくるなよ」って言いたい。
■「永遠の僕たち」 ガス・ヴァン・サント
蓮實重彦がどこかで書いてたと思うんだけど、ガス・ヴァン・サントが撮っても撮らなくても映画史は変わらない。まさにその通りだと思うんですよね。嫌いじゃないんだけどさ。作品のひとつひとつのクオリティーはそこそこ高くても、あんまりそれに対してどうこう言おうっていう気にならない。文学作品の映画化じゃなくて、映画で文学作品つくろうとしてるみたいな、よく言えばタルコフスキー的な「野心」を感じるんですよね。ぼくは「文学っぽい」のも鼻白んだりせずにどっぷりアゴまで浸かって見れる方なので「死体ごっこ」も「モルグでデート」も「不治の病」(という概念)も嫌いではないんですが。アトラクション=上映時間が終わったらこういう白けたことしか書けないんですw 文学趣味をちゃんとやるなら加瀬亮の(文字通りの)霊的成長をもうちょっとちゃんと描いてほしかったですね。
■「脂のしたたり」 田中徳三
昔の日本映画って女優が本当に半端じゃなくきれいなんだよなぁ。「東京暮色」の有馬稲子とか「浮草」の若尾文子とか。この映画では冨士眞奈美でした。つくりの美しさっていうのももちろんあるんだけど、美人ていうだけじゃなくてちゃんとそう見えるように撮ってるんだよ。でもたぶんもうそういうノウハウが受け継がれてない。あるいはカラーになったときに御破算になった(これはたぶんウソ)。
イントロでは冨士眞奈美がファムファタル的な描かれ方してるんですが、これもはまってます。フィルムノワールの導入でちゃんと仕事をしてるんですね。サングラスかけてて素性が知れない、でも何か悪事に荷担してる怪しげないい女ってことで。ま、「死刑台のエレベータ−」のジャンヌ・モローですね。演出だけじゃなくて音楽もカメラも。しかしシネスコっていうのが味噌だよな。長身の田宮二郎と横たわる女、あるいは死体。
しかし今の女優だとこういうのが様になる人いないもんね。スタイルいい影のある美人、例えば黒木メイサとかがやっても戯画的になっちゃうでしょ。はまる背景がない。つくれない。それにしても田宮二郎、冨士眞奈美、久保菜穂子、成田三樹夫、金子信夫とみんな役どころと顔貌が驚くほどマッチしてるのね。
あとそっち系の人が喜びそうな「三国人」にリベンジする話でもあるので、そういった方向で溜飲を下げたい向きにもお勧めです。
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