2012年1月27日金曜日

いい人であるということ

「国境の町」 ボリス・バルネット
戦地の最前線で塹壕から出てきた兵士たちが敵国の兵士たちと互いに手を取り抱き合うという夢想的なシーンのナイーブさと、バルネットのソ連邦における自死とが直截的に結びつきすぎてツラい。かくも自由で優しく繊細な感性には、この世界はさぞ生きにくかっただろうということが容易に想像できてしまうのだ。そこで描かれている友愛の精神が力強く無垢であればあるほど、それは友愛の精神に満ちていない現実を生きる私たちにとって残酷さを増して見える。

たとえば「アタラント号」のバケツのシーン。全然悲しいところじゃないんだけど、あの見るに堪えない純粋さが、「それを描いてしまった者」に対する共感や畏怖としてスクリーンの外側に立ち現れてくる。無視しがたい「メタ」が表出してしまうのだ。そして、事後的にだがその純粋さはそれを描いた者の夭折や自死とこれ以上ないくらいの説得力を持って結びつき、私たちの心に沈潜する。そんなとき私たちは「ああ、やっぱり」とうなだれるほかない。

おそらくこれはエンターテインメントとしては完全に失敗だ。そこで描かれている世界に私たちが没頭できないという意味において。しかし、エンターテインメントにおいて観客の没頭が消費と同義であるなら、この没頭とは別種の経験こそが映画なのかもしれない。

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