2012年1月10日火曜日

悪について

内田先生のメルマガ(http://yakan-hiko.com/uchida.html)インスパイアだけど、「邪悪さ」っていうものを設定したとして、それって場所(ポジション)に紐づけられてるんじゃないのか。あちら側に「邪悪」を設定することで無謬性を獲得していたはずのこちら側がそのポジションを取って代わったときに邪悪になってしまうという必然。座りたいと思ったら、椅子はあちら側にしかない。しかし、椅子そのものが「邪悪さ」によって規定されているのだとしたら「座りたい」という欲望をもう一度吟味すべきじゃないだろうか。それはとりもなおさず「邪悪になりたい」という欲望と等しいのだから。

ぼくがいわゆる「陰謀論」から足を洗ったのは「世界は自分の外側にある」=「自己は環境によって規定される」という諦念というか他力本願が陰謀論の根本にあるからだと思う。ぼくは直感的にこれは間違っているとあるときに気づいた。世界は実は自分の内側にある。

もうひとつは内田先生が書いているように、人間はおしなべて頭が悪い。それに気づいたからだろう。「愚民ども」を組織的に「支配」できるほどの緻密な知性と抜かりない行動力を持ち合わせている特権的な人たちなんていないってことだ。見ればわかるでしょう、「支配者たち」の杜撰なこと。だからもし自分が思わしくない状況にいるんだとしたらそれは幸い思わしくない状況にいない側の人も含めて、自分の、自分たちの頭の悪さが原因なんだということに気づけばいいんだと思う。

あなたの世界を窮地に陥れているものが自分の外側にある邪悪なものであると考えている以上、あながた邪悪に取って代わっても世界の窮地は変わらない。結局、ぼくらは自分たちの頭の悪さを引き受けるところからスタートするしかないと思うんだよ。

「悪」をナルシズムと看破したドイツのユダヤ人社会学者フロムは、ナチスの「糾弾」に終始した知識人とは一線を画していたと思う。

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