2012年4月3日火曜日

零点の星空

ちょうど去年の今頃、節電に燃える首都東京で会社からの帰り道、僕は毎日夜空を見上げながら歩いていた。東京の夜が暗くなればたくさんの星が見えるようになるかもしれないと思ったからだ。でも残念ながらちっともそんなことにはならなかった。まだまだ明るすぎるのか、そもそも空気が汚れているのか。とにかく空はいつもの無表情な冬の大四角形を見せてくれるばかりだった。

小学生の頃、星が好きだった。天板図を買ってもらってすべての星座を覚えていた。と自分では思っていた。5年生の夏、赤城山にキャンプに行った。生まれて初めて見る「満天の星空」。本当に星で空が埋め尽くされていて、東京のように「主要な星座」だけが見えるということはなかった。平均より若干明るいというだけの理由で神話から名前をもらったり、天板図に刻まれることになった星や星座から一気に興味が失せた。だって、空を埋め尽くしてるこれ全部星なんだぜ。

どの星がとかどの星座がというのではなく、文字通り空を星が埋め尽くしているということがすごすぎて、仰向けになったまま何時間も空を眺めていた。僕が星や星座の名前を覚えていたのは中学校受験の一環でもあったわけだが、子どもの頃から肉眼でこれだけの星が見える環境に育ったやつに勝てるわけがないと直感的に思った。彼らが星や星座の名を知っていようといまいと絶対に彼らの方が星に詳しいに決まっている。好きになろうにも僕にはそれが見えてすらいないんだから。

子どもっぽい情熱はそこで終わったかもしれないが、汚れた空気や雲の向こう側には太古から続く満天の星空があるということは知ってしまったわけで、それは今でも続いている。肉眼では確認できない無数の微弱な光が肌に突き刺すのを感じながら、今自分はたまたまそれが見えないところにいるのだということをたまに思い出したりするわけだ。

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