2012年4月17日火曜日

ラ・シオタ駅に横たわりたかった轢死体

最初の映画として知られるリュミエール兄弟の「列車の到着」(http://youtu.be/MsWYfb4uCzA)を見ていた観客がスクリーンの奥の方から迫り来る列車を避けるために席を立ち上がったという有名なエピソードを、スコセッシは「ヒューゴ」の中で3Dを効果的に使いながら描いた。

映画を観るのが「初めて」で映画を「知らなかった」人のフレッシュな反応として人口に膾炙したこのエピソードをなぜスコセッシは同じ映画の中で2度も描いたのか。おこがましい話かもしれないが、僕にはその理由がよくわかる。

しばしば単なる笑い話として処理されるこの手の話だが、ほのぼのエピソードを限られた尺の中で2度も見せるということは通常あり得ない。ではスコセッシは何がしたかったのか。おそらく彼は「最初の映画」を見て「列車を避けた人」その人になりたかったのだと思う。なんならスクリーンから飛び出してきた列車に轢かれたかったw 生まれたときから映画館があり、制作会社があり、撮影所があり、俳優や映画監督、さらには映画批評家なんていう職業がある時代に僕らは生きている。つまり、まったき未知としての映画と遭遇するという自由を、僕たちはあらかじめ奪われている。その事実がスコセッシには耐え難いのだ。

スクリーンの奥から迫り来る列車がこちら側に飛び出してくると信じて思わず立ち上がって避けてしまうという感性を僕たちはもう経験しようがない。もう彼らが感じた恐怖や焦りを体験することはできないのだ。列車の到着から数十年後に生まれた僕たちも、彼らのように驚きたかった。彼らのように映画と出会いたかった。「ヒューゴ」にはそうした切実な願いが通奏低音のように流れている。

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