2012年4月11日水曜日

わりとどうでもいいへ(^o^)へ

という心境がしっくりくる場面が日に日に増していくんだけど、この「どうでもいい」のポジティブな感覚を人に伝えるのが難しい。どうも投げやりさだったり無関心として伝わりやすいように思う。だが、それは全然違う。

すごく平たくいうと「不要なこだわりを捨てた状態」と言えなくもないんだけど、そう定義した瞬間に「不要なこだわりがあっても別にいい」というメタな視点が支配的に立ち現れてくる。結局こだわりのあるなしはこの「どうでもよさ」を決定づける要素ではなくなってしまう。つまり、この「どうでもよさ」すらどう定義されようとどうでもいいのだ。

あらゆる「べき」から解放されたまったき自由。あるいはあらゆる「べき」にがんじがらめにされる自由。ただ各人が己の選択した自由な状態にあるという現実に良いも悪いもない。ただ微笑んでいてもいいし、急に怒り出してもいいし、大好きだった人やものに対する興味を失ってもいいし、嘘をついてもいい。

本来こうした自由は誰もが生得的にもっているはずなのだが、多くの人は自らこの自由を捨ててきた。だが、ややこしいプロセスを経て僕たちはもう一度この自由を獲得しつつあるのではないだろうか。つまり被承認状態がデフォルトであるような自己をわざわざ肯定するという七面倒臭いことをしなくても済むようになる。トートロジックな結論になるが、この自由の中にたゆたう思いや感情を生きることでしか人は自由でいられないのだと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿