2013年1月2日水曜日

左翼芸

鳥肌実や大本営八俵(居島一平)を見て、なぜ右翼はかくも芸になるのに左翼は芸にならないのかを考える。

おそらく答えは至極簡単で、「右翼(っぽい人)」というのはファンタジーとして機能するからなのだと思う。言い換えれば、そういう人が実在するということにリアリティーがないのだ。

「左翼っぽい人」のステレオタイプというのも案外簡単に創出できると思うけど(デモってラリってロハスでピースな)、そういう人って普通にその辺にいるんだよね。だから、特徴をあげつらって揶揄することはできても、非実在性がないからフィクションとしては楽しめない。

ということはだよ、右翼(思想)ってフィクションに過ぎないという事実を、多くの人はアプリオリに受け入れてしまっているってことだよね。受け入れてしまっているという現実に無自覚なままそのフィクションに乗っかろうっていうのはどういう了見なんだろう。

右翼芸があるのに左翼芸がないっていうのは、つまり、反原発よりも愛国の方がフィクショナルだってことに潜在的には誰もが気づいてるってことだと思うんですよ。違いますか?

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