2013年1月14日月曜日

フィルム映写機が静止する日

「サイド・バイ・サイド」クリス・ケニーリー
総括して結論を出したいけど、その行為自体が間違っているような気がするので、思いついたことを箇条書きにします。既に上映環境まで不可逆なプロセスが進行しているので時既に遅しの感はありますが……。ともあれ色々と不勉強でした。キアヌ先生ありがとうございます。

・映画はこれまで、音声を獲得し、色彩を獲得してきた。(トーキーについて「私たちは静寂を失った」と書いたブレッソンに倣って、カラーは「光と影を失った」ということもできるだろうけど)。いずれにしても世間はそれを進歩として受け止めてきた。だがデジタルは何を獲得しているのだろうか。それが直感的にはわからないというところにこの問題の根深さがあるような気がする。

・「デジタル派」の多くがそのメリットとして「利便性」や「効率」「コスト」を挙げていたことには閉口した。それって面白い映画を作るってことと関係ないじゃん。「面白いものは作りたいけど手間暇はかけたくない」っていう開き直りは許されるのか。デジタル化は観客じゃなくて飽くまで作り手都合で進んでいる変化なのだと感じた。
「映画監督はアーティストである前にビジネスマンであるべきだ」というアメリカ的なテーゼを体現してくれたソダーバーグには早く撤収してほしい。一切琴線にふれたことのないルーカスも物販に専念して映画界から手を引いてほしい。

・撮影と上映がデジタルになる前に、DI(デジタル・インターメディエイト=フィルムで撮影→デジタル化→ポスプロ→再フィルム化→上映)って既にデジタルだったわけじゃん。いかに「理論的には冷凍する前と同じ組織構造です」って言われても冷凍マグロは冷凍マグロだろ。ということに気づかずに(やっぱり生のマグロは違うねとか言いながら)見ていたわけですが^^;

・ロバート・ロドリゲスが、撮ったものをその場で確認できないことを「暗闇の中で絵を描くようなものだ」と喩えて、フィルムにこだわるなんてナンセンスだと断じていたけど「暗闇の中で絵を描く能力」こそが監督や撮影監督に求められていたことなんじゃないの?

・ラッシュが仕上がるまでの一晩、フィルムロール交換のための10分というのは、映画にとって必要な時間だったというような気がしてならない。文字通りTime is moneyなのだろうが、その一晩と10分が「作品」にどのように貢献していたのかということを私たちは十分に把握していただろうか。もちろん、そのプロセスを経ない新しいものも見てみたいと思うけど(既に目にしているわけだが)。

・僕は「スターウォーズ」にはまったく食指が動いたことがないんだけど、今回のルーカスを見て、ものすごい合点がいった。みんな知ってたことだろうけど、ルーカスって映画好きじゃないんだわ。

・僕はソダーバーグにはまったく食指が動いたことがないんだけど、今回のソダーバーグを見て、ものすごい合点がいった。みんな知ってたことだろうけど、ソダーバーグって映画好きじゃないんだわ。

・あれだけスターを使っていて、あれだけ色気のない画面をつくるってどれだけ異常なことなのかと、ある種の倒錯性をそこに見出して面白がろうと思ってたこともあったけど、単に「下手」というか「バカ」だったということがわかったので、もうソダーバーグはいいです。

・僕はティム・バートンにはまったく食指が動いたことがないんだけど、今回は出てきてないから触れずにおこう。彼もフィルム派ではないだろうけどね。

・デビッド・リンチは存在感、佇まいがやばい。ずるい。何を言っても聞き入ってしまう。かつての朝ナマにおける姜尚中的な。あの髪型であんな訳の分からない映画作ってたらみんな魅了されちゃうよな(笑)どっちかっつったらああなりたい。

・ダニー・ボイル風情が大物ぶってんじゃねえよ!

・ウォシャウスキー姉弟のお姉さんの仕上がりが想像以上に「女」で笑った。この兄弟は根っからの「ナード」で映画よりもニコ動向きだなと思った。

・スコセッシはアメリカン・フィルム何とかいう組織の「委員長」とかになれそうだよな。全面外交ぶりが。しかしギミックの人メリエスを称揚するのであれば、デジタル化に疑問を持たないという姿勢は一貫しているのか。

・映画館はフィルム撮影の映画をDCPでかけることに良心の呵責はないのか?詐欺だろ、武蔵野館、イメージフォーラム。

・キアヌ・リーヴスは偉い。出演作に恵まれてないのだけが悔やまれる。そりゃ「マトリックス」も「スピード」も「コンスタンティン」も「スウィート・ノベンバー」も「地球が静止する日」も好きだけど。サム・ライミの「ギフト」も良かった。

・貧乏な若い映画作家でも映画を撮れるようになったというのをメリットとして挙げている人は多いと思うけど、敷居を下げてもテッペンまで来る奴の数は変わらない(最初から決まってる)と思うから、「全員に紙と鉛筆が行き渡ったからといって傑作が増えるわけじゃない」っていうリンチに全面的に賛成するわけです。一方でテッペンだけが見たいのかと言われるとそんなこともないんですけどね。ただ、ジャンルの成熟にはそれほど貢献しないんじゃないかということを経験的に推測するのです。

犬童一心のトークイベントです。監督の言うように気の緩みが作品のクオリティーを上げることはないと思います。それにしても山田洋次がスタッフにタル・ベーラを見せたっていうエピソードはどう解釈すればいいんでしょうか(笑)。パスしようと思ってたけど、怒るためだけに「東京家族」見に行きます。

・「友よ映画よ」(山田宏一)を読んだ人なら忘れられないエピソードだと思うけど、ゴダールの「アルファビル」の撮影でラウル・クタールが光量が足りない夜間撮影のためにスチールカメラ用の高感度フィルムを手作業で繋げてロールにしたっていう話ね。24枚撮りだったら1秒しか撮れないわけだ。10分回すのに600本のフィルムを繋ぎ合わせることになる。そういう工夫とそれを支える気違いじみた情熱だけが「映画」を作っていたんだよ。

・それを読んだら、エディ・コンスタンティーヌがアパートの階段を登ってるだけでも涙なくしては見られんだろうが!コンチクショー!

・僕がフィルム原理主義者になる原因となった1本がルノワールの「ピクニック」で、生涯ベスト3に入るくらい大好きな映画なんですが、僕はこの作品を最初にビデオで見てしまったんですね。もちろんビデオで見ても素晴らしかった。でも、その後何度か映画館で見ましたが「なぜ初見をスクリーンにとっておかなかったのか。なんてもったいないことをしてしまったんだ!」という後悔が今も僕がスクリーンで見ることの原動力になっているわけです。だから、どんなに傑作だとわかっていても、いや、わかってるからこそDVDやブルーレイでは見たくないんです。スクリーンで見るチャンスがある限りは。スクリーン=フィルムという時代の話ですけどね。

・この映画(「サイド・バイ・サイド」)を見て、いかに自分が映画について何も知らなかったかということを痛感したと同時に、ある種の(フィルム的)感性みたいなものは間違っていなかったと安心した。

・「フィルム派=善・正義/デジタル派=悪・バカ」という図式的な解釈を一見してますけど、そんな簡単に割り切れるものじゃないことはこの映画を見るとわかると思います。自分はフィルムに魅了されている(と思い込んでる)からプロレスなら圧倒的にフィルム派に立つけど、もし自分で映画を撮りたいと思ったらまずデジタルになるだろうしね。まあ観客としては作り手や流通コストの削減とかしないで、なんなら値上げしてもいいからフィルムで撮ってフィルムでかけてほしいと思いますね。

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