「レ・ミゼラブル」トム・フーパー
無教養の誹りを免れないと思いますが、原作読んでないので、ジャン・バルジャンが「覚醒」してから市長になるまでとか、ジャンがコゼットを抱えて修道院に逃げ込んでから9年後とかジャンプされちゃうと、「いや、その9年間、どう考えても映画1本分くらい濃密だろ?」って思っちゃうんですよね。市民革命からの王政復古とか歴史背景も難しいし、わりと色々なところを転々としてるしお正月映画にしてはハイブローな一本でした。
僕が今までで見ていて一番幸せを感じた映画は「上流社会」っていうMGMのミュージカルだし、「ロシュフォールの恋人」なんて歌詞全部覚えてたくらい大好きなので、ミュージカル映画そのものに対する抵抗というのはないんですが、本来見せ場である歌の場面で、圧政の下、貧困にあえぐ人たちの歌声が力強すぎるなあとか、アン・ハサウェイの歌と表情の演技が完璧だなあとか余計なことが気になってしまいました。というのも寄りの絵が多すぎるからだと思うんです。
ミュージカルでもオペラでも観客は基本的に舞台を一望できるレンズで見てるんですが、映画のフレーミングっていうのは、「ここを見ろ」っていう以上にそこ以外見れないという状況を生み出してしまうわけです。舞台であれば役者を集中的に見るにしても背景のセットや書き割りが視野に入るんですが、映画で寄っちゃうと情報がかなり限定されちゃう。もちろん寄れる、カメラ位置が変えられるっていうのは映画の強みでもあるんですが、うまく使わないと効果がない。ミュージカル映画の固有表現ということを考えさせられましたね。
あと主にティム・バートンのせいだと思うんですが(笑)、やっぱり僕はヘレナ・ボナム・カーターという女優がどうしても好きになれません。サシャ・バロン・コーエンとやってる宿屋の猥雑さは悪くありませんでしたけどね。最近はなんでも楽しめる、小さな波にも乗れると自信をつけていましたが、うまく乗り切れませんでした。
上映後、後ろのホストとキャバ嬢みたいなカップルの女の方が「セリフ普通にしゃべった方がよくない?」って元も子もないこと言ってましたが、そういう感想を抱かせるような側面が間違いなくこの映画にはあったと思います。ああ、無情!
追記
Wikipedia見てたら、フランスのテレビドラマ版のキャスティングがヤバい。ジェラール・ドパルデュー、ジョン・マルコヴィッチ、シャルロット・ゲンズブール、ヴィルジニー・ルドワイヤン、ジャンヌ・モロー。これ見たい。
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