2012年9月5日水曜日

共学あるある?

「桐島、部活やめるってよ」吉田大八
ツイッター周辺でザワついていたので、期待して見に行きましたが、これが予想以上に「映画」してました。

まず驚いたのがスクリーンサイズ、シネスコ。「スープ」のときもそうでしたが、ドラマ系の邦画でシネスコだと「え、何で?」ってなりますよね。で、見ていくうちに、画面の奥の風景とか人物の視線とかが非常に有効にストーリーテリングに寄与していて、ああそういうことかと納得させられるわけです。画面運びのなめらかさにしても、なんだ、やるじゃないかと。シネスコは部活もしくは体育館との親和性が高いというのもこの映画の大きな発見のひとつじゃないでしょうか。(「スープ」でも体育の授業がありました)

ストーリーはバレーボール部のキャプテンで県代表にも選ばれるほどの選手でおそらくは学校という世界の中で中心的存在として君臨していた「桐島」が突如姿を消したことによって、思春期特有の情動や脆弱な人間関係が浮き彫りになるという青春映画です。僕は中高男子校だったので、女子を含めた校内、もしくはクラス内ヒエラルキーみたいなものをほとんどSFとしてしか見ることができないと改めて痛感しました。まあ無難にヲタ目線で神木隆之介君に感情移入しながら見てしまうので、「鉄男」を見た後のあの感じ(ミルクティー一気飲みw)とか、ある種のやるせなさ、痛々しさは普通に感じるのですが、橋本愛のNo.1とNo.2に対する気の使い方とかはまるで未知の世界です。シンパシーゼロです。超現実的すぎてザワザワできない。観客として限界を感じました。

個人的な話はさておき、驚いたのがキャスティングと演出の正確さです。登場人物のキャラクターや演技プランが完璧にある一定の枠に収まっている。キャラ設定だけじゃなくて、俳優の「顔」、これもすごい正確でした。女子のNo.1(桐島の彼女)、No.2(ヒロキの彼女)の顔、吹奏楽部キャプテンの大後寿々花、橋本愛の友だち、そして、映画部の副部長(神木隆之介の友だち)。残酷なくらい顔つきがキャラに合っていて、すがすがしいくらいで、これは見ていてものすごく心地いい。こういうキャラ描写はコメディーとしては欠かせない要素ですね。

この映画には(裏)テーマとして「努力しても報われない奴」というのがありまして、バレーボール部の小泉君やバドミントン部の橋本愛の友だちの子(お姉さんが亡くなった)、野球部の主将なんかがその代表として描かれていました。映画部の神木隆之介君をそこに加えてもいいのかもしれません。恋愛においては吹奏楽部の大後寿々花もそうでした。「がんばってもできない奴はできない」という残酷な現実と「できないってわかっててもがんばっちゃう奴」の悲哀を好んで描いていた一方で、桐島や菊池系のセンス系=がんばらなくてもできちゃう(がんばればもっとできちゃう)には彼ら固有の苦悩があるというのを「桐島の不在」を中心に描いていました。僕はこの辺にはまったくシンパシー感じないんですが、それは男子校を卒業して20年近くも経つからそう思うわけで、学校が宇宙であったような時代に、相対的な視点を持てって言っても無理だし、この閉鎖的で近視眼的な視点で、「そんな風にしか考えられない。そんな風にしか振る舞えない」という一回性こそが、学校を青春の舞台たらしめているわけです。

この映画で最も感動的だったのが、何に対しても本気になれない菊池君が神木君の本気に触れてレンズカバーを渡しに行くシーン。ここはウルでしたね。夕暮れの屋上でややホモセクシュアルなやり取りを通じて、神木君の映画に対する情熱から何かを受け取る。そして、菊池君の目線で眺められる野球部の練習。タイトルクレジット。やるじゃないですか。

通底するテーマに頷きにくい部分がありましたが、全体的にすごい映画っぽい映画で大変好感を持ちました。欲を言えばもっとはみ出してもいいと思いましたね。上では褒めた部分ですが、キャラクターや演出が正確すぎて、そこから横溢する何かが足りないような気がしました。逆にこの収まりのよさ(ツッコミ代のなさ)が「現代的」と言えなくもないのかもしれませんけどね。

あと全然関係ないけど、吹奏楽部のフルートの子が山川恵里佳みたいでかわいかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿