「戦火の馬」スティーブン・スピルバーグ
見てからちょっと時間がたっちゃったから鮮度が足りない。俺のエモーションの……。
ただ、この場違いなサラブレッドが農耕馬として働かされた経験が砲台を引くというおよそ似つかわしくない業務に抜擢されることで一命をとりとめたというエピソードは多くの絶滅収容所を生き延びた人々の証言を想起させる。ジョーイと名付けられた馬があの砲台に繋げられた太い首輪に疎んずることなく頭を通したシーンは「つまり世界とはそういうものなのだ」という積極的な宣言なのだ。それを「不条理」と呼んで諦念とともに受け入れることは誰にでもできるだろう。だがこの映画のスピルバーグは違う。条理を越えた因果律にすべてを明け渡し、手持ちの掛け金のすべてをそこ置いたのだ。おそらく本当は誰もがそうすることしかできない。違いはそれにどのように抗うのか、そのやり方だけだ。
ある一頭の馬に惚れ込んでしまうこと、岩と根っこだらけの荒れ地を開墾すること、そうした無条件の情熱(もちろんストーリーの中ではその成否によって物語の進行方向を大きく変えてしまうわけだが)だけが真実なのであって、一心不乱の努力が報われるといった安易な教育的指導とは根本的に趣を異にするものである。掛け値のない愛情も一心不乱の努力も報われないが、たまたま1頭のサラブレッドが鋤を引いて畑を耕したということだけが「原因」となるのだ。「結果」を生み出すために「原因」をつくるといった類の努力はこの世界では何の意味もなさない。だが「原因」は「結果」をもたらす。人はただそのルールに従うより他にないのだ。スピルバーグはそれに耐えろとも抗えとも言っていない。ただ世界はそうあるということをこの映画で描いている。僕は何よりもその勇敢さに心を打たれた。
観念的じゃない話もちょっと。第1次世界大戦と言えば塹壕なわけだが、この映画の塹壕描写は素晴らしい。ぬかるみに疲弊した兵士たちがよりかかり、倒れ込み、よじ登り、そして馬が疾走する。第1次世界大戦版「プライベート・ライアン」と言ってもさしつかえないだろう。野戦病院の混沌の中で、視力を失った主人公と馬との再会を端的な数ショットで見せる演出手腕にも感嘆せざるを得ない。
また、特に冒頭で、演出ミスと言ってもいいくらいのロケとセットの光線の違いがすごい気になったんだけど、「ジョーズ」の「追いかけっこしてる間に女がいつの間にかジーンズを脱いでいる描写」に通ずるような、ある種のリアリティーの尊重があるのだろうと納得させるだけの力強さがあった。
2番館ではあったが見逃さないで済んでよかった。スピルバーグ作品の中でも「宇宙戦争」に並んで重要な作品、ということは賞を獲ろうが獲るまいがすごい映画ってことだと思います。
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