「ダークナイト・ライジング」クリストファー・ノーラン
最初に断っておきますが、僕は人並みにはこの映画を楽しみにしてたし、実際に楽しんだし、この夏何がお勧め?って聞かれたらこの映画を勧めるかもしれない程度には評価もしてます。その上で以下の感想。
常々「ノーラン演出の不穏さは化調(化学調味料)的」と言ってきたんだけど、これって完璧なギミックで、「過剰なシリアスさ=魚介系の出汁」+「人工的な造形物を広角レンズであおり=炙りチャーシュー」+「過剰なベース音=魔法の白い粉」を調合するといわゆる「ノーラン的な画=流行りのラーメン屋」になると思うんですよ。まあこれを手法として確立したってのはすごいのかもしれないけど、僕はフィクションでも現実でもユーモアが介在し得ないようなシチュエーションにあまり魅力を感じないんですよね。ユーモアの闖入によって脆くも崩れ去るような「シリアスという名の虚構」に鼻白むわけです。もっと言えば茶化したくなる。
「ライジング」というかノーランてそういうシリアス系の典型みたいな人で、「ダークナイト」でもジョーカーがサンデル教授的な命題を押しつけてきて「人はいかに善たり得るのか」みたいのを全力でウィズアウト・センス・オブ・ヒューモアでやっちゃうわけじゃないですか。そういうアティチュードに対してはどうしても少なからずツッコミ目線みたいのが芽生えてしまうわけです。冒頭の飛行機襲撃とかもね。そんなリスクの高い計画を全部計算ずくでやってるのかと。それだけの知性と行動力があるならもっとスマートにできるだろうと。まあそういうのは極力抑えて、ワクワクしながら見ますけどね。でもやっぱりノリノリにはなれないんだわな。野暮なこと言わずに楽しめや、っていうのは主張としてはよくわかるんだけど、それが成立するのは「ミッション・インポッシブル」や「崖っぷちの男」の「緩さ」があるからなわけですよ。ノーランにはその緩さがない。だから「ツッコミ」が「批判」として成立してしまう。これは観客ではなく映画のあり方の問題なわけです。
というわけで、ノーランはあまり得意ではないんだけどまあ楽しみにしてた分くらいは楽しめました。「ダークナイト」のときよりはノーランも成長してたと思うし、爆発とか処刑とかで人もいっぱい死んだしw。あの井戸の中の空間とかエピソードは好きでした。整体師=メンターが恐怖の処し方を教えてくれるのとかああいうのは好きです。あとは何と言ってもアン・ハサウェイですね。彼女は完璧でした。レズじゃなければw(すっかりハリウッド女優になってしまったマリオン・コティヤールは「ミッドナイト・イン・パリ」の方が芝居でもかわいさでも圧倒的に上いってました)
ネタバレになるのかもしれないけどラストのマイケル・ケイン、あそこはマイケル・ケインと男女の後ろ姿の切り返しで十分だったんじゃないですか? そういうところのセンスがないんですよ、ノーランは。
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