2012年8月15日水曜日

自分探しの旅 盆ボワイヤージュ4

—なぜあれほど熱烈に愛読していたスピリチュアル本を読むのをやめたのですか? 依存といっても過言ではなかったと思うのですが(笑)。
「もはや洞察を外側に向けるべきときは少なくとも個人的には終わったと感じています。助けになるだけの智恵はもう十分に手にしていると気づいたのです。1つ、パパジの教えによって『移動』が必要なくなったということが大きいでしょうか。『いまここ』はさまざまな局面で語られていますが、その究極的な謂いは『いまここ』という言葉でしか言い表せないものです。この『いまここ』という概念は覚醒のために私たちの身体や精神の移動が不要であることを示唆しています。文字通り、答えはいまここにある、いまここにしかないからです。いまここを追い求めて過去のあそこや未来のそこにいく必要はない。移動は不要である以上に、根本的に間違ったアクションだったのです。座禅でいう只管打坐という言葉も同じことを伝えていると言えるでしょう」

—そのままマスターぶってお答えください。では、ただそこに心身ともにとどまっていればいいと?
「そうです。ただそれが私たちにはとても難しく感じられるのです。一切の精神活動を一旦休止するということは多くの現代人にとっては不可能と思えることでしょう。そのためにさまざまな精神活動休止のための『手法』が考案され、売買され、人口に膾炙しました。それが昨今のスピリチュアル産業の隆盛です。しかし、今ではその『手法』そのものが過ちであると断言できます。いかなる手法でも、です。正しい手法というものはありません。楽しい苦役がないのと同じことです」

—『いまここ』にとどまるためのあらゆる手法が過っているとはどういうことでしょうか?
「簡単に言えば、何もしないために何かをする、というのがおかしいのです。何もしない、を実践するには、他の実践をとりあえず休止して、何もしないを徹底するだけです。やめるのはやめたいときにやめればいいだけです。呼吸や心臓の拍動を除いてあらゆる活動がそうです。やめ方などない、ただやめるだけです。しかし、やめる自由がないという錯覚がまず我々をいまここから遠ざけていると言えるでしょう。やめる自由がないという錯覚に私たちは捕らえられているのです」

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