だから、正しい信念なんてものはないんだよ。スピリチュアルの落とし穴はここにあって、熱心な人ほど正しい信念を増やしてしまっている。例えば、捨てなければいけないという新しい信念。それは今まで持ってたものに比べてきれいで魅力的に見えるかもしれないけど、新しい捨てるべきものでしかない。気づきにしたって別の視点が生み出した別の信念にすぎない。信念に優劣はない。上品も下品も正誤も霊性の高い低いもない。あらゆる信念から解放されたところにしか真に見るべき世界はない。
信念から解放されるために新しい信念を獲得するというプロセスは必要ない。宗教もヨガも瞑想もワークも何らかの信念に基づいている以上、その信念からの解放を遠ざけるものでしかない。もちろん信念は不要であるというドグマも。
ここまでわかったらやることはひとつ。すべての信念をひとつ残らず捨て去ること。すべてを一気に放り出すのも少しずつ削りとっていくのも好き好き。大事なのはいかなる信念の支配下にあるのか気づいていくということ。
思考を止めるべきというのは、あらゆる思考は何らかの信念に基づいているから。知識やノウハウが曇った目を余計に曇らせてしまうから。
自分を探したいならそこから一歩も動かないこと、あらゆる思考、精神活動をストップすること。すべての活動をやめて距離がゼロに戻ったところに「自分」はいる。
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