2012年8月15日水曜日

自分探しの旅 盆ボワイヤージュ2

今朝の珈琲館のウェイトレスの方を見ていて思ったのは、人は「そう思われたい自分」を確実に演出することに成功してしまうということです。彼女の場合であれば「自分を忙しそうに見せること、一生懸命仕事をしている風に見せること」に100パーセント成功しています。しかしそれは決して彼女が「忙しいこと」や「一生懸命仕事をしている」ことと同義ではありません。このギャップこそを人は敏感に感じ取ってしまいます。

ぼくの会社にもいろんな人がいます。「仕事が暇だと思われたくない私」「重要な仕事をしていないと思われたくない私」「バカだと思われたくない私」みんな完璧にそういう自己演出に成功しています。みんながみんなちゃんと「そういう風に見られたい(見られたくない)人」に仕上がっているからです。そういう人とやり取りすると、すべてのメッセージにメタタグの様にそうした自己像が貼り付けられているので、受け手が余程鈍感でない限りそれは確実に周囲に伝わっていきます。ああ、この人重要な仕事を任されてる風に見せたい(ということは本当は大したことしてない)人なんだなぁ、とか、この人はバカだと思われたくない(ということは本当はバカな)人なんだなぁってね。それが当人の意図かどうかは別にして。まあ多くの場合は不本意でしょうけどね。また、鈍感な受け手というのも案外多いことがこの種の恥知らずが横行する一助になっているとも思いますが。

「思考は実現する」っていうのはスピリチュアル界でももはや根幹をなすコンセプトになっていると思いますが、引き寄せ厨とかポジティブ狂の人の脇が甘いなと思うのはこういうところですね。望むと望まざるとに関わらず思考は実現してしまうっていうことです。みんなこのことに対して無自覚というかお気楽なんだよなぁ。その思考、実現しちゃってますよ。

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