マキタスポーツのメルマガから(以下引用)
「……話してて思ったのは、若くしてデビューしてさ、ちゃんと評価を得てきた人は、
妙な性格的な屈折とか、受け答えにおいての貧乏臭さがなくて、
あるのはそれぞれがそれぞれ違う個性での風格なんだよね。……」(以上引用)
これはマキタスポーツが奥田民生と初めて話したときの印象なんだけど、すごいよくわかるんだわ。普通の人はあるもんね、「受け答えにおいての貧乏臭さ」。俺なんかもそういうのすごいあったから。ひとかどの人物だと思われたいがために(そんなわきゃないのに)、思ったことをそのまま表現するってことができないんだよ。無駄にひねったり、こねくり回したり、盛ったりすんの。今でもたまにやっちゃうもんね。わかるわ〜。わかってちゃダメなんだけど(笑)
でもね、自分がそうだから言えるけど、別にナチュラルボーンストレートじゃなくても(そんなの希少種なんだから)屈折経て一周してストレートにもなれるんだよ。俺は人の目ばっかり気にして、周りのご機嫌を損ねないことだけを旨として生きてきたんだけど、30越えたくらいから開き直れたんだよね。自分どうこうよりも相手の強さとかポテンシャルを信じられるようになったんだと思う。人間、ちょっとやそっとのことじゃ傷つかない。これは自分の体験を通して気づいたのかもしれない。
特にインタビュー仕事を始めてからは、敬意と言うか、数十年自分とはまったく別の生を生きてきた人から得るものがないわけがないと本気で思うようになった。他人からそいういう「資源」を掘り出すことに興味がわいたのかもしれない。これはご機嫌うかがってるだけじゃ絶対に掘り出せないからね。こっちから掘りに行かないと。相手がお仕着せて来るものもあるけど、そういうのって大抵形骸化した概念でしかないんだよ。正直つまんない。
今じゃ偉い人にもそうじゃない人にも、周りが冷や冷やするような直球をよく投げる(らしい)んだけど、それなりに社会経験も積んで人並みに修羅場もくぐってきた人なら大抵の球は普通に打ち返せるんだよ。失礼のないようにってビクビクしながら、松井に「あなたこれちゃんと打ち返せますか?」って緩い変化球放るのなんてそれこそ失礼以外の何ものでもないでしょ。直球投げることを怖がってる人っていうのは結局自分が直球投げられたくないだけなんだよ。そのうえ相手のことを「自分と同じような小物」だと見積もってるってことを露呈させちゃってるわけ。そんなの最悪でしょ。
それよりは相手を心底畏れて信頼して委ねてれば(できなければ、そういうふりだけでもすれば)、多少言い回しが失礼だったとしてもそんなことはまったく問題にはならない(少なくとも当事者間では)。ちゃんと靴脱いで、揃えて、お邪魔しますって言って上がれば、何も失礼なことはないわけで、敢えて損得の話をするなら、そうやって相手のホームに上がり込んで話聞いた方が、垣根の外からビクビク眺めてるよりも「もらい」が大きいわけ。それで相手が気分を害するようだったらまあ残念だけど、そういう人だってことだよ。まあ得るべきものもなかったとあきらめるんだね。幸いそんな人に会ったことはないけどね。
俺が反省するのはもしかしたらもっと奥までいけたんじゃないか、もっとたくさん引き出せたんじゃないかってことだけで、間違っても失礼だったんじゃないかなんてことには考えも及ばない。でも実際はビックリするくらい繊細な、つまり成熟していない大人もいるよね。それはそれで残念ながら確実にいる。まあ日常相手にしなきゃいけないのはそっちの方だったりするのだが、そんな人からでも得られるものは確実にあるというのは好むと好まざるとにかかわらず事実なわけだから、「謙虚さ」を称揚するよりはむしろ「貪欲であれ」「もっと欲しがれ」っていうのが正解かもしれんね。
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