昔、四谷大塚だったと思うけど、算数の問題で「100人が参加するトーナメント戦では試合数はいくつになるか?」というのがあった。
解法というかロジックがわからないと、わけもわからずに数えたりしてみるんだけどわかってみれば至極単純な話なんだよね。
答えは99試合。優勝する1人以外は1試合につき1人が必ず負けるから。
こういうスパーンっていう目から鱗っていうか目から鼻に抜けるっていうかロジックの明晰さに感心したっていうのもあるんだけど、僕は何というかその「文学的」な側面に心打たれたんだよね。
「1人だけ1度も負けないヤツがいる」「1試合につき必ず1人の敗者が生まれる」
スポーツでも囲碁でも将棋でもいいんだけど、たぶん「公正に」強さを測るならリーグ戦で総当たりとかやればいいんだよね。で白星が一番多い人が勝ち。でもほとんどのスポーツで、1番強いヤツを決める方法って最後はなぜかトーナメントなんだよね。
だから僕らは平均点が高い選手よりも、爆発力がある選手や瞬間最大出力の値が大きい選手を「強い選手」として選ぼうとしてるんだよね。勝ち上がってくる相手がわからない、しかも1発勝負。それってすごいロマン主義的じゃない? 興行的な要請ということも含めて僕らにそういう指向性があるっていうことだよね。まあ総当たりのリーグ戦じゃ盛り上がらないのは想像に難くない。派手な選手よりも手堅い選手が勝ちやすいしね。
でも、鳥山明が「ドラゴンボール」の最後の方でもう天下一武道会とかほっぽり出しちゃうじゃない。あの感じ今ならすごいよく分かるんだわ。その場、その時の対戦相手に対する比較優位なんて「強さ」の要素のほんの一部じゃん。
トーナメントで勝つことの意義とかそのための努力っていうのはもちろん素晴らしいものだと思うんだけど、でも強いってそういうことじゃなくね? それだけじゃなくね? ってことに気づいたと思うんだよ。鳥山明先生は。
「キン肉マン」にしても「男塾」にしても、我々ジャンプ世代はトーナメントの美学にこれでもかってくらい毒されてるよね。まあ、1回負けたら終わりっていう潔さは日本人の武道的な精神とは親和性が高いのかもね。これといった代替案もみつからないし別にいいけど。結局何が言いたかったかっていうと、僕らの多くはプラクティカルな強さそのものよりも天才エピソードとかレジェンドとかが好きなんだよねってこと。
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