2012年11月5日月曜日

狂うというソリューション

「危険なメソッド」デヴィッド・クローネンバーグ
本当はどうだったのか知らないけど、ゴリゴリ権威主義のフロイトと真面目な文学青年風のユングというコントラストは非常に面白かった。スピ畑に片足を突っ込んでいる者としては、もちろんユングの肩を持ちたいんだけど、ここで描かれている昭和の豪傑っぽいフロイト(ヴィゴ・モーテンセン)はとても魅力的で、「うんこちんちん」を立派な学説に仕立て上げ、その権威を維持することに躍起になっていた様には可愛げすら感じられる。

一方で、フロイトの学説を評価しながらも、その保守的な姿勢と視野の狭さに問題を感じていたナイーブな学究の徒ユング(マイケル・ファスベンダー)。ナイーブだから患者の影響ももろに受けて、しかもそれを真剣に悩んじゃう。ザビーナ(キーラ・ナイトレー)はもちろんのこと、露骨にメフィストフェレスとして描かれていたオットー(ヴァンサン・カッセル)と出会って以降、彼の思想の強い影響下にいたであろうことは想像に難くない。

ユングが患者であるザビーナを助手に迎え、自分の妻を被験者として自由連想法の実験をするシーンは、この映画の中で最もサスペンスフルなシーンだった。そして、実験結果に対してザビーナが鋭い洞察を見せるくだりはゾゾゾの虫が背筋を走った。おそらく彼(女)(ら)の不幸はその鋭い洞察を自己にも向けざるを得ないということに起因しているのだと思う。

なぜかくも鋭い洞察力を持つ明晰な頭脳が「狂う」ことを許してしまうのか? 目をひん剥いてアゴを突き出し、思い切り元気よく顔芸で勝負を仕掛けてきたキーラ・ナイトレーを見ながらずっとそんなことを考えていた。その答えが先ほどの実験のシーンでわかった。鋭すぎるから狂うのだ。見えすぎる目。聞こえすぎる耳。常に過剰な「正しい」情報を与えてくる器官。これらの正しさは命をも脅かしかねないものなのだ。それらの正しさを受け入れながらも生命機能を維持するための唯一のソリューション。それが「狂う」ということなのではないか。

私たちの感覚や思考力が穏当に生き延びるために無自覚に制限されているのだとしたら、見、聞き、考えることに機能不全をもたらしてまで生きながらえようとする本能を発動させた者、すなわち狂人を羨みこそすれ、蔑むことなど決してない。

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