解釈に右往左往するのも面白いかもしれないが、「死んだらひとつ上の階層に行く」というのがこの映画の謂だ。おそらく私たちは今いる(意識の焦点が合っている)この世界にしか生きていないと感じている。上の空だったり、気もそぞろだったりできるのは、あくまで主軸がこの現実にあるからだ。ただ、それは、月や星が夜にしか存在しないという考え方に似ている。夢の世界や空想の世界、死後の世界がなぜ今(たまたま)焦点の合っているこの現実よりも軽んじられなければならないのか。それらのどこにも私たちは等しく(ときには現実よりも濃密に)存在しているかもしれないというのに。
私が提唱している「影(かげ)理論」をこの映画は補強してくれる。影理論とは、簡単に言ってしまえば、2次元は3次元の影なのだから、3次元は4次元(以上)の影なのではないかという単純な推論だ。影は次元を1つ落とす。つまり、この我々のいる世界は1つ上の次元(階層)の影=反映に過ぎないという考え方だ。自分の影を見て欲しい。ひょっとしたら彼らは自分の意思で動いていると思っているかもしれない。それも私たちの意思の反映として。私たち自身が誰の影でないと言い切れるだろうか。
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