http://www.youtube.com/watch?v=8xW-TxhUYbE
エックハルト・トールの恋愛観に深く首肯する。
恋愛の対象の彼・彼女こそが自己の欠乏感を埋めてくれる。それを恋愛と疑わない者は、欠乏感を、いわば理想と現実のギャップをソリッドに固定化し、埋められるべき空隙として強迫観念に転化させる。「君じゃなきゃだめなんだ」その逼迫した「思い」に嘘はない。ただ恋愛が正しいソリューションではないというだけで。
年々誰かに夢中になる気配がなくなりつつある、と高を括っているだけかもしれないが、これは自分の中に埋められるべき空隙が少なくなりつつある、あるいはそれを埋められるべき空隙とは認識をしなくなりつつあるということと無関係ではないと思う。転移という考え方があるが、その空隙は多くの場合、父や母のいた場所だ。未分化の自分の一部としての父と母。だが、それらは最初から自分の一部ではなかったし、その座が空いたとしても、それは埋められるべき空隙ではない。と、おぼろげに認識し始めているのだと思う。
恋愛がソリューションでなければ、何がソリューションか。「それ」を問題と認識するシステムこそが問題なのであって、そもそも「解決すべき問題」などなかったのだ。
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