2010年8月30日月曜日

トランシルバニア・ファミリー

キリンジの「夏の光」の歌詞(曲ともに堀込高樹)がやけに刹那的というか生の一回性みたいなものを強調しているんだけど、この一回性って常に強い光、特に太陽光線とともに想起されることが多い。冬に雪の中で、ああ、俺今生きてるって感じたことはない気がする。だから、北欧とヴァンパイアというのは食べ合わせとしては悪くないはず。「ぼくのエリ 200歳の彼女」。

エリの造形的なヴァンパイアらしさ(顔つき、髪型)というのがまず素晴らしかったと思う。いかにも北欧といったブロンド青目の主人公のオスカーとのコントラストもよかった。あの造形だけで、スウェーデンの田舎町ではかなり浮いてしまってるんだと思う。中性的な容姿もよかった。台詞でも2度ほどあった「普通の女の子じゃないけど」みたいなところで、ほぼ全編にわたってBLモノとして鑑賞してたんだけど、その線もあながち間違いではなかった。

ただ、この映画について完全に見えてなかった部分があって、それが「継承」のテーマだったと@h_pom氏の指摘で気づかされるわけだが、個人的には「お守り役」があの最初の親父からオスカーに引き継がれたっていうだけで、十分な評価できる映画だったと思う。叙情性みたいなものが過大評価されてるみたいだけど、その辺はわりとどうでもよかった。継承のテーマの中継地点として赤い棒があったっていうのもおぼろげには見えてたけど、宇多丸師匠にはっきり言ってもらわなきゃわからなかった。あの赤い棒のフルスイングと死体の発見のシンクロする場面とか結構よかった。「カオス」の様式的な描き方というか。

人間の手際の悪さ、頭の悪さ。それを社会と関係性を断ち切って生きて行かざるを得なくなった無学で無教養な人間の、とまで言い換えてこの映画の「継承」のテーマがとても生々しくリアルに見えてくるんだけど、そこまで最初に看破してたのは@h_pom氏だけだったと思う。

配給会社は本当に大変なのは分かるんだけど、見た人を裏切るようなことはやめてもらいたいですね。今回の「ボカシ」なんかはこの映画の解釈の根幹にかかわる部分なんだから、何とかしてもらいたかった。実情は↓のようなことらしいです。悪いのは(頭もセンスも)国ということですね。
http://mega80s.txt-nifty.com/meganikki/2010/07/post-1cf9.html
ただ、師匠がシネマハスラーで言ってましたが、ジャンル映画だと客が入らないというのはどういうことなんでしょうね。まあ、間口を広く=いろんな層の観客を取り込みたければ、売り出すときに変に色をつけるべきではない、というのは映画に限らずいろんな商品やサービスでも苦慮されてるところだと思うけど、結局それは正確なセグメント化とターゲティングという意図の放棄であって、営業努力ではないんじゃないかというのが僕の考えですね。まあ一方で「ホラーだから見に行く/行かない」という顧客の偏狭さも消費者の態度としては未成熟だと思います。今日は何を見に行こうかって考えたときに、最終的にお客さんは選択を迫られるわけだけど、そこで商品やサービスの実質を吟味する力を磨くためにもそうした分かりやすいカテゴライズに抗いたいというのはあります。看板とかラベルとかレッテルっていうのは一昔前に比べたら随分無力化してきてると思うけどね。

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