だが思う。はたして過剰だろうか。メッセージとして発信され、その受け手がいる以上、伝わった内容を問わなければ、これは過不足なくコミュニケーションとして成立している。過剰さはどこにもない。あるのは、セルフイメージがパブリック(他者)に受け入れられるだろうという発信者の誤算だ。つまり「自意識過剰」とは、この「計算違い」を生み出した頭の悪さや自分が容認されるだろうという甘えに対する批評に他ならない。
本当に自意識が過剰な人間はこのような自己を規定し、周囲に同意と理解を求めるような「自分語り」のメッセージを(無自覚に)発してしまうことこそを何よりも怖れているのだから、それに比べたら前述のタイプは明らかに自意識が不足している。真の過剰は思うだろう。「何て恥知らずな…」過剰からは不足が見えるが、不足から過剰は見えない。
「過剰」は、のうのうと恥知らずでいられる「不足」になりたいなどと口にすることはあっても、そんなことは毛頭思っていないはずだ。
膝を打ちました。まさしく!
返信削除ネットを見れば自信のない人は自意識過剰だと診断する見方やその逆も然りな処方が氾濫しているが、
ツチノコ氏の言う真の過剰でいる方が外野からの批評の対象にはならずに済むでしょうな。
しかし外野の目を気にするどころか自分で自分を監視するようになる真の過剰になると、今度は身動き取りづらくなるでしょうに。
「両極端が良くないのであってほどほどが丁度良い」などという毒にも薬にもならない話でオチつきそうですが
ツチノコ氏、いかがです?
ドイドイさん、コメントありがとうございます。
返信削除もう5年も前に書いたことなので何を考えていたのか正確に思い出すことはできませんが、過剰と言うからには、やはり適度でないことの不都合が生じてしまうのはしかたがないことかもしれませんね。
今考えているのは、(実像と異なる)いかなる「自己イメージ」のやり取りも不要であるということです。少なくとも発することはこちら次第で止めることができます。過剰と不足の間でバランスを取るというよりは、その綱渡りやめて地面に降りてもいいんじゃないの? という感じでしょうか。