全体的にジョージ・クルーニーに頼りすぎという気がしないでもないが、良心的な小品。あの口元がシシー・スペイセクの女の子ももうちょっとスパイシーな存在であってほしかったとか、バックパックのメタファーをもうちょっと活かせたんじゃないかとか色々あるけど、まあおおむね面白かった。私自身出張もあるが基本的にはデスクワークが中心という業務に就いており、「全国や世界に顧客を持って商談をまとめる」といったような字面に憧れる程度のビジネス感覚の持ち主だから、この映画の理想的な観客の一人だったと思う。出張慣れしてるビジネスマンの空港でのスマートな振る舞いというクリシェも単純に格好いいし、絵になる。アメリカ地方都市の空撮を70年代的な画面分割で見せたオープニングで一曲聴かせるっていう趣向も悪くないし、作品の規模とテイストのマッチングみたいのも絶妙だったと思う。
不況で儲かるビジネスっていうのが確実にあるとして、この主人公の職種はまさにそれ。企業に替わって従業員に解雇を言い渡す「ターミネーター=始末人」。解雇を言い渡した相手のショックと怒りを緩和し、あわよくば希望さえ抱かせる。失意のどん底で会社に対する恨みを爆発させようとしている相手を、ときに冷静に、ときに情熱的になだめすかし、励ます卓越したコミュニケーションスキル。そんな大人な男がジョージ・クルーニーにすごいハマってる。
港みなとに女あり。じゃないけど、そんな感じで家族も持たずに、本社のあるオマハの貸しアパートには年40日滞在する程度。ホテルのバーでナンパした80年代風のビジネスウーマン、解雇面談をウェブチャット化しようという提案を会社に持ち込んだ大卒の新入社員の女の子やら疎遠にしていたが結婚が決まったことで連絡を取るようになった妹と家族、これら女たちが万事快調だった主人公の人生をにわかにかき乱し始める。
家族(的なるもの)を必要としない(というスタンスの)中年男子が、いままで遠ざけていた人間関係のより豊かな側面に気づくという成長譚。とまとめてしまえなくもないけど、「仕事に生きてたクールな男が家族愛に目覚めました」でも「こんなに苦しいのなら家族愛などいらぬ。やっぱり俺には仕事しかない!」でもなく、要不要という二元論を乗り越えたところで初めて荷を解くことができたっていうのは感動的だ。たとえ飛行機に乗り続けるとしてもね。結局それまでのクルーニーはマイレージで充填されるべき余白として「家族(的なるもの)の不在」を抱え込んでたわけだから。
「人は欠如を抱えることはできない」っていうのはクリシュナムルティ風の今思いついた名言風だけど、ないものを抱え込むというばかげたことを、なぜかくも容易に人はなしうるのか。品性の欠如、才能の欠如、身長の欠如、頭髪の欠如、教養の欠如、美貌の欠如、金銭の欠如、コミュニケーションスキルの欠如、愛社精神の欠如、神秘体験の欠如、愛情の欠如、モテの欠如。それが自分にとって「必要ない」という考えは「必要だ」という考えと同じようにそれらを、本来は埋められるべきであった空隙として認識している。ある人はその空っぽの容器を満たしたいし、ある人は満たさなくてもいいと考えている。でもその容器を抱えているという点では変わらないんだよね。
でもビジネスチャンスっていうのはその容器を埋めてあげるところにあるんだよね。埋める必要はないって考えてる人も潜在顧客だからニーズ掘り起こされる前に容器捨てろよ。目覚めよコンシューマー!
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