2014年5月27日火曜日

ガンガジってやっぱり変な名前だよな

ジョーイ・ロットへの質問 ガンガジ編 http://wp.me/p11yjI-zV

上のブログでしか知らないけど、ジョーイ・ロットっていう人は本当に面白いなあ。こういう人こそ本物のマスターだと思う。

エックハルト・トールの「ニュー・アース」はスピリチュアルの入門書として素晴らしい作品だけど、動画サイトなんかで彼の必要以上に間を取ったスピーチなどをみるにつけ、どこかでマスター然とした振る舞いをなぞってるんじゃないかなって疑いの目を向けていたから、そういうのはポーズじゃないにしてもノイズになるっていうロットの意見には激しく同意せざるを得ない。名前もビヘイビアももっと「普通」にした方が、あなた方のメッセージは正しく受け入れられるんじゃないですか?ってことだよね。

でも、多くの探求者はこの「マスター然とした立ち振る舞い」にやられるわけだ。どちらかといったら積極的にやられに行く。それこそを欲しているから。マスターをマスターたらしめている本質よりも、彼らがまとっている「マスターっぽさ」の方が好きなのだ。マスターになるのは難しいけど、マスターっぽくなることは難しくない。トールやガンガジは基本的にいい人だから、そういう「ニーズ」に(無自覚に)応えているという部分はあると思う。あるいはビジネスセンスのなせるワザか(笑)

あわてず騒がず、いつも穏やかで、菜食で無欲。ある種の悟りを得た人が、そうなっていく傾向というのは感覚的にもわからなくはない。それはそれで美しいフォーム(形態)だが、本質が宿らないままフォームをなぞっても、本質にはあまり近づけないと思う。余談になるが僕はスポーツで同じことをずっと考えていて、美しいフォームを模倣することでは、そのフォームに美しさをもたらしている本質には近づけない、近づけないというのが言い過ぎなら、遠回りなんじゃないかと思っている(実際は模倣によるアプローチもあるとは思うけど、型を強要するようなメソッドが好きではないので)。それよりは本質を探究する方が早いんじゃないだろうか。美しさは本質がフォームに宿った結果でしかないのだから。

何で人は本物よりも、安っぽいニセ物の方が好きなんだろうか。いくつかの答えがあると思うけど、できるだけ遠回りしたいというのが本音なんじゃないだろうかと本気で思う。そうするのが「正しい」のはわかってるけど、もうちょっと楽しませてって言ってるようにしか聞こえない。だから、遠回りしたい人に「あなたバカみたいに遠回りしてますよ」とは言わないし言ってほしくもない。じゃあ。

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