2014年5月12日月曜日

分不相応な錯誤

念願の「ブルージャスミン」を初日に見てきた。

なぜアレンは「元セレブ」をここまでこっぴどく痛めつけるのか。貧しい出自、強すぎる虚栄心、分不相応な生活、夫のダーティーなビジネス、ウォッカと精神安定剤。彼女は贅沢な生活を送っているときから、(そして、おそらくもっとずっと前から)十分に苦しんでいたと思う。あえてこういってもいい。彼女はもう十分に罰されていた。

「没落」後のジャスミンの行動は、強すぎる虚栄心のあまりトンチンカンなことになっているわけだが、それももう笑える段階は疾うに通り越している。笑うには症状が進みすぎてるのだ。それに、崩れかけたメイクで、涙目でやぶにらみの視線を虚空に漂わせ、独り言を繰り、記憶の中に生きる。それも夢のような生活の記憶だけではない。夫の不倫と自殺、密告、息子との別離……。繰り返し反芻されるのはそうした苦い記憶ばかりなのだ。甘美な記憶に仕立て上げられた「ブルームーン」のエピソードも、彼女自身をなぐさめるというよりは、他人に語って聞かせるためだけのものだ。

それでもまだアレンは容赦なく彼女を痛めつけ、追い詰める。その筆致は怒りに満ちているといってもいい。その怒りがどこに向けられたものなのかと考えたとき、それはどうやら一時的にとはいえ不正なビジネスに依存した分不相応な生活を送ったジャスミンに対してではなく、彼女の己が属するクラスへの鈍感さに対してではなかっただろうか。彼女がなぜそれほど苦しまなければならないのか? それはジャスミンが貧乏だったからなのだ。同じ境遇で育った妹も幸せとは言えないかもしれないが、猥雑なサンフランシスコの街で安いアパートで2人の子どもと暮らす彼女は、少なくとも姉よりはマシな人生を送っている。どうせ錯誤の中で生きるのなら、分相応な錯誤を選んだ方が賢明ということなのだろう。セレブ・ワナビーのヤングたちに生ぬるいアティチュードを見せたソフィア・コッポラの「ブリング・リング」とは対照的な示唆を含んでいる。そもそもこの映画の「成功者」たちをアレンは「祝福された者」としては認めていないのだろうが。(その点ではソフィアも同じなのかもしれない)

多作のアレンは傑作とは決して呼べない映画をしばしばつくるわけだが、これもそうした一本に数えてもいいのかもしれない。でも常軌を逸した怒りが、この映画を凡百の佳作から遠ざけている。

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