BREAK MAX12月号の吉田豪による町山智広のインタビューがTLを賑わせていたので読んでみた。(この時点で俺サブカルだわ)これがメチャクチャ面白かった。本題は町山がいかにチンコを愛しているかっていう話なんだけど、余談として語られている「ボンクラ」の概念がとても興味深い。もともとヤクザ用語で「盆」=賭場に「暗」い人、つまり、ヤクザの主戦場たる賭博でしのぎを上げられない人ということを言うらしい。なぜ彼らボンクラがしのぎを上げられないのかというと、任侠とか仁義とかのヤクザ的なコンセプトに憧れて業界に入ってきてるからってことなんですね。ヤクザといえども、日々何をしているかといったら当然のように「仕事」なわけです。興業を仕切ったり、貸した金を返してもらったり、自分たちの活動領域を守ったり、そういう仕事をしのげるヤツはビジネスライクにヤクザやってるってわけです。つまりボンクラは仕事ができない。
で、町山さんは自身のこともボンクラと定義して、その特性の1つとして「頭の中でシチュエーションに合わせてBGMを鳴らせる」という能力(?)を挙げてるんですね。これってまさに「モテキ」の藤本幸世君なわけで、失恋であるとか孤独であるとか敗北であるとかの現実世界での出来事に対して、ラベルを貼って、それぞれのシーンに合ったBGMが脳内で再生されると。それこそが「ボンクラ」なんだと。
ああ、確かに自分の手に余る現実に対して、真っ向から対峙することを避け、既知のフレーム(この場合、音楽)に押し込めてしまうっていう作業はなるほどボンクラだなぁ。俺にはできない芸当だなぁと感心しておったわけですが、BGMこそ鳴らないものの実は自分にもありましたね、そういうクセ。ぼくは言葉でした。しかも、イメージの中で昔の新潮文庫のフォントとか字詰めで綴ってくんですね。
「またか」そう心の中で呟くと、彼はおもむろに視線を上げて、俯いたままの彼女の代わりに悲しげな音で泣き続けている薬罐をじっと見つめた。
みたいなw。ベタであればあるほど安心感があるっていう。別の人は絵コンテを切って、カメラを置く場所や構図を決めて、BGMを鳴らしてってことをやるんでしょう。舞台化する人も絵に描く人も写真1枚に収める人もいるかも知れない。現実の中にどっぷり浸かっていないという意味ではある種の客観性を獲得してると言えなくもないんですが、やっぱりこれって現実逃避ですよね。この現実逃避のことをRe-Creation(再創造)=娯楽と呼んでるのかななんて思いましたね。ぼくはその現実にどっぷり浸かって追い詰められて、悩んで、苦しんでっていうのが正解だと思ってます。まあ楽しいときもあるわけだし。
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