2010年1月4日月曜日

「This Is It」と「アバター」

この2本を並列で語るのには連続して見たという以外の理由がある。たぶん。

マイケルの妥協を許さないアーティストとしての姿勢とか、そりゃもう感心するばかりなんだけど、そういうのは見れば分かるし、知ってる人はとうに知ってたんだろうから、ここでは置いておこう。

相当なマイケル信者でも、ちょっと辟易とするというか、真正面からは受け止めかねるっていう人も多いというアース・ソングのくだり。マイケルのパフォーマンスのクオリティーの高さには諸手を挙げて讃辞を送るけど、ストップ環境破壊という直截的なメッセージには何かちょっと鼻白んでしまうという向きね。分かるよ、分かる。

セレブの素朴なチャリティ&エコ志向とか、その手のものに通底する浅薄さを感じてる文化的ミドルクラスって図式としてはすごいよく分かるし、共感できる部分もかなりある。ジョン&ヨーコからディカプリオ、マドンナ、ブランジェリーナ、坂本龍一まで。憎しみ合うことをやめて愛し合おう。人類の未来のためにも地球を環境破壊から救おう。そこには新奇性も面白みもないよね。だから非常にエンターテインメントとの食べ合わせの悪さみたいなものを最初から含んでると思う。元来、映画ともポップミュージックとも相性がよくない。結果、ウソくさい。

でもね、って今回初めて思ったんですよ。「アバター」のキャメロンもそう。「アバター」が下敷きにしてる「ナウシカ」の宮崎駿もそう。そういう人たちが愚直に訴える環境保護のメッセージって何なんだろうって正面から考えたときに、これって単なるセレブの贖罪意識の押しつけじゃないんじゃないか?っていう当たり前の可能性に気づいたんですよ。

この種のメッセージに対する今までの消費者としての受け止め方って大きく2通りあって、ひとつは素朴に感動する(だけの)B層と、もうひとつは若干冷ややかな目で斜めから「うん、いいけどね。ほどほどにしてほしいな」とかもっと意地悪に「おっしゃる意味は分かりますが、成金の気休めに本気で付き合えるほど我々は寛容でも暇でもないんですよ」っていうミドル層。ネットで批評なんか書いてる人も多くは後者に属してると思う。結局、良くも悪くも、このメッセージを受容できる最良の層っていなかったんじゃないだろうか。つまり、ぼくらはこのメッセージを受け止めそこね続けていたんじゃないだろうか。

マイケルが「大人に裏切られ、子供にも裏切られ、葉っぱしか愛せなくなっちゃった」(西寺郷太 via 宇多丸)っていう説には納得いく部分もあるけど、それにしては本気すぎる、積極的すぎるという感じがするんですよ。そう、今回考え直してみるきっかけを与えてくれたのは、このマイケルの本気さ加減だと思うんです。そこにはいささかの逃げも消極性もない。攻めの姿勢。リハ終わりのスピーチで、みんなで最高の舞台に仕上げようっていう話の後に、やや唐突にあと4年以内に環境破壊を食い止めようっていうのは、何なんだろう? この危機意識は単なるセレブ=不当に恵まれてしまった人が持つに至った強迫観念なんかじゃなく、根拠があるんじゃないだろうか。ただ単に彼(ら)は僕らが持っていない情報を獲得しているんじゃないだろうか。ぼくらが情弱なだけなんじゃないだろうか、という疑念。

「今、会社を変えなきゃ、このままじゃ本当につぶれるよ」という危機意識を持つ平社員とそれに耳を傾けようともしない同僚および上司、という「無理解に晒されている俺」的構図に重ねてみたときに、この疑いはどうも必要以上にリアリティーを帯びてしまう(笑)。マイケルたちには本当の危機が感じ取れているんじゃないだろうか。そして、それを鈍感な僕たちにも知らせてくれてるんじゃないだろうか?

変なところにクローズアップしたけどね、同じメッセージが繰り返し発信され続けているのは、事態が一向に好転する気配を見せていないからなんじゃないだとは察しがつきます。本当はもっとオカルトよりのスピった話にしたいんだけど、眉をひそめられないようにこの程度に抑えておきます。

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