「アルケミスト」パウロ・コエーリョ
久々に本の感想。アホみたいに悩んで苦しんで遠回りしてたどり着いた(かに見えた)ところが実はまだ目的地への過程の一部なんじゃないかという疑いは、どんな満足のいく状態にあったとしても常にぬぐい去ることができない。折り返し地点でも三里塚でも、それが本当のゴールではない以上、うつろいゆく過程の一部でしかないのだ。
「幸福」な状態とそれをもたらしている対象は、私たちの中に依存と執着を生む。私たちは多くの場合、その幸福が一過性のものであることから目をそらし、その状態と対象に変化が訪れたとき初めて、自分がその状態と対象に深く依存し、執着していたと気づくのだ。たいていの場合、それは対象の喪失という形でやってくる。
だから僕は、幸福な状態とそれをもたらしている対象に目を凝らし、依存と執着が生まれるメカニズムから注意をそらさぬように自分を見張り続けている。幸福な状態を無自覚に味わうことは放棄されたが、すべての代償がゴールにたどり着くために必要な過程だと僕たちは既に知っているのだから、それが苦しみでも喜びでも等しく享受すればよいのだと思う。
久々に本の感想。アホみたいに悩んで苦しんで遠回りしてたどり着いた(かに見えた)ところが実はまだ目的地への過程の一部なんじゃないかという疑いは、どんな満足のいく状態にあったとしても常にぬぐい去ることができない。折り返し地点でも三里塚でも、それが本当のゴールではない以上、うつろいゆく過程の一部でしかないのだ。
「幸福」な状態とそれをもたらしている対象は、私たちの中に依存と執着を生む。私たちは多くの場合、その幸福が一過性のものであることから目をそらし、その状態と対象に変化が訪れたとき初めて、自分がその状態と対象に深く依存し、執着していたと気づくのだ。たいていの場合、それは対象の喪失という形でやってくる。
だから僕は、幸福な状態とそれをもたらしている対象に目を凝らし、依存と執着が生まれるメカニズムから注意をそらさぬように自分を見張り続けている。幸福な状態を無自覚に味わうことは放棄されたが、すべての代償がゴールにたどり着くために必要な過程だと僕たちは既に知っているのだから、それが苦しみでも喜びでも等しく享受すればよいのだと思う。
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