恐ろしいことだが、このような悪意と一方的な暴力はいたるところで行使されている。少し注意深く周囲の人間を観察すれば、そうした光景を目にすることは稀ではないだろう。
程度の差こそあれ、この種の暴力から自由であるような人はとても少ない。だが、ここで言いたいのはそうした暴力がはびこっていることの嘆かわしさではない。
矛盾するようだが、僕が伝えたいのは傷も痛みも全て幻だということだ。もっと言えば、悪意さえ幻だ。だが幻覚を見ている人にそれが幻だと伝えても無意味なことだということも知っている。幻の傷も、幻の血も、幻の痛みも全て現実と等価の幻なのだ。
幸い僕たちはどのような幻を見るのか、その選択権はかろうじて与えられているようだ。だから結局、ある人がどんなに苦しんでいるように見えても、その人の見ている幻を否定するようなことはしたくない。むしろ、尊重すべきだとさえ思うのだ。
これまで僕が出会った人たちを思い返してみると、どうやらそうしたことを生得的に、あるいは成熟を待たずに学んでしまったとしか思えない人たちが少なからずいた。
彼らが僕の見ていた幻を否定せず、軽蔑も示さずに、とてつもなく寛容であったことには感謝よりも驚嘆の念を禁じ得ない。それこそが愛だったのではないだろうか。その愛はおぼろげなヒューマニズムなどでは決してなく、世界に対する深い洞察とそこから得られた英知に由来するものだったのだと思う。
彼らがこの世界にいた、あるいは今もいる、そして、そうした英知を誰もが獲得できるという可能性だけが僕の幻を存続させてくれている。
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