「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」マシュー・ヴォーン
●マシュー・ヴォーンって「ロック・ストック」「ミーン・マシーン」(「ロンゲスト・ヤード」のリメーク)を見たときは、アメリカに憧れてる野暮ったいイギリス人=田舎者の典型みたいな人で制作者としてはどうでもよかったんだけど、監督作の「キック・アス」は面白かったし、今作もこんなに面白い映画を撮るようになるとはうれしい誤算です。今作は「アメコミが原作の娯楽大作」という域を大きく超えていたので、熱くレビューしておきます。以下、思いっきりネタバレします。あと、ぼくはこれ以外のX-MENシリーズはテレビでしか見ていないので熱烈なX-MEN厨とかではありません。
●「ユダヤ人(とナチス)」っていうのはこの映画の中核にも触れる部分だ。町山が昔言ってたんだけど、アメコミとユダヤ人っていうのはもともととても縁が深い。ここら辺の記事でも概要はわかると思う↓。要は東欧からナチスの手を逃れてアメリカに来たユダヤ系の移民、特に若者の中に漫画家を職業として選んだ一群がいて、それらの作品には否応なく彼らのバックグラウンドが反映されてしまっているという話です。(「スーパーマン」「スパイダーマン」「スポーン」「バットマン」など代表的なアメコミのヒーローに共通するのは家族の不在や復讐を動機に悪に立ち向かうような側面など)
アメコミヒーローに見る「ユダヤ系」の影響(1) http://t.co/UswLdmw
アメコミヒーローに見る「ユダヤ系」の影響(2) http://t.co/R3AptVx
●冒頭、舞台は1944年ポーランド。雨の中、両脇を鉄条網にはさまれたぬかるんだ道を歩かされる人々。腕には囚人番号の刺青。強制収容所であることが即座に分かる。「優性遺伝子」を持つアーリア人種が「劣性遺伝子」をもつユダヤ人種を根絶しようとする政策の一環で、エリック少年は両親と引き離される。この冒頭の1シーンだけでただならぬ「トラウマ」をこの映画が抱えて進むということにぼくは身構えると同時に期待に胸が躍った。
●この映画が深みを持った要員の1つとして登場人物たちの話す言葉が挙げられると思う。冒頭でナチス将校シュミットはドイツ語、モスクワではロシア語でしゃべっている。成長したエリックはスイス銀行ではフランス語を、アルゼンチンではスペイン語を操っている。どこに行ってもいつの時代でも英語しか話さないトム・クルーズに未だに違和感を抱えている者としてはこの点は大いに評価したい。
●本当によくできてたなと思うのが、3つのプロットをそれと意識させることなく並行させてすすめていくところ。ひとつは後のマグニートーとなるエリック少年の話。「能力」をよすがに生き延びたエリックはモサドの諜報員よろしく、彼の母親を殺し彼自身のミュータントとしての能力を開花させたナチスの高官クラウス・シュミットに復讐するために世界中を飛び回る。もうひとつはテレパスとしてもう1人のミュータント・レイブンに出会い幼少期から成長を共にする後のプロフェッサーXことチャールズ・エグゼヴィア。そして、今ひとつは国際政治の裏舞台で暗躍するエリックの仇セバスチャン・ショウことクラウス・シュミットのストーリー。この3つのストーリーが実に見事に交差し、また離れ、そして1つの点へと収斂していく。プロット(大筋)とストーリーとディテール(台詞回し)が互いに有機的に支え合っているようなシーンの構成はこれぞハリウッドと唸りたくなるほどだ。
●母を目の前で殺され、家族を失った経験則に基づきエリックが人類を敵視し「ミュータントvs人類」の対立を将来の世界のビジョンとして描いているのに対して、チャールズ・エグゼビアが思い描く「友愛」の世界はあまりに理想主義的で無根拠に見える。それを、作り手として無根拠に許容していないと分かるのがレイブン(ミスティーク)の「裏切り」だ。幼少時代から共にすごし青春時代を迎えたレイブンの恋愛感情をチャールズは決して受け入れない。もちろん彼女が「青いから」とは言わないが、彼はミュータント=異端的な要望を持つ者の苦しみに共感していない。無論TELE-PATHがSYM-PATHであることは難しくないはずなのだが、彼は彼女の「容貌」を愛していない。
それに対して「本来の姿」でいろというエリックの主張は首尾一貫している。本来の姿こそが強さであり美しさでありその強さと美しさこそが人類に対して示された優位であるからだ。そしてエリックはレイブンの本来の姿に美しさを見出す。
「変異細胞のみを正常化」したことによって人間的な容貌を失い、全身が獣と化したハンクに機能美とも言える美しさを見出したレイブンは自らの容姿にもミュータントとしての誇りを獲得する。
性的マイノリティーであるブライアン・シンガーがメガホンを撮った1・2に比べて、ミュータントの孤独とか苦悩が描かれていないという批評は的外れだと感じた。
●決戦・キューバ危機を控えてエグゼビアの屋敷で行われるトレーニング。時間にすれば僅か1週間なのだが、各々の成長がシネスコに60年代的な分割画面で描かれる。流してもいいシーンに見えて、ここでの成果が後の決戦で生かされる。
映画史的言及はクライマックスのエリックがミサイルを撃ち返すシーンの広げた掌のアップでも、ロベール・ブレッソン「ラルジャン」の印象的な引用があった。
●ナチスの優性人種と劣性人種という思想は、皮肉にもホロコーストの生き残りであるエリックによって引き継がれる。この「継承」があの印象深いヘルメットを介して行われる一連のシーンはとても感動的だ。シュルツ(ショウ)をテレパスで乗っ取ったチャールズの横顔のカットバックをスローモーションで見せるシーンを含め、シンプルだがエモーショナルな演出に成功していて、エリック=マグニートーとチャールズ=プロフェッサーXが袂を分かち、後のミュータントvs人類の戦いへと発展する思想が世界にとって支配的になったこの瞬間は、X-MEN史上最も重要なシーンといっても過言ではないと思う。
●というわけで、文句なく面白かったので、もう終わりかけてると思うけど必見です。
「スーパー8」J.J=エイブラムス
スピルバーグが制作で「未知との遭遇」オマージュやら「E.T.」オマージュやらと期待度だけは高かったけど、ほとんど乗れずじまいだった。
母親の死、自主制作映画、宇宙人、政府の隠蔽、初恋……とこれだけ詰め込んで面白くないわけがないのに、面白くないのは芯がなかったからだと思う。
エル・ファニングの大人びた魅力だけが突出して説得力を持っていたのでそれ以外は忘れた。
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