2011年5月6日金曜日

スピリチュアル零年

 マスターたちは人生を映画に喩えて「スクリーンの上で演じられているドラマに一喜一憂する必要はない」という。起きることが起きているだけなのだからと。だが、それが映画というエンターテインメントであり、自分が主人公のドラマを生きている以上、そこでの楽しみは一喜一憂すること、もっと言えば、より多くの喜びとより少ない憂いをそこに見出そうとすることだろう。
 結局スピリチュアルとはいってもその多くは「錯誤のゲームの勝者になろう、錯誤のゲームをより楽しもう」という程度のなぐさめに過ぎない。ぼくが「引き寄せ」に代表されるいわゆる「願望実現系」に感じる欺瞞の根幹はここにある。従来のシステムの中でより快適に生きようという程度のソリューション、それって実は何の解決にもなってなくね? ってことだ。
 なぜ誰も演じることをやめろ、見ることをやめろとは言ってくれない。

 だが、事ここに至り、初めて「幻想のスクリーンの上で生きるな。すべては幻なのだから」という明確なメッセージに出会った。「錯誤のゲームから離脱する」という明確な選択肢が提示され、その手法が明らかにされたわけだ。その提案がイエス・キリストその人の手になるものだというのだから心が躍るじゃないか。(この項続く)

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