2011年3月29日火曜日

人の役に立ちたいという病

自分を愛せないと人を愛せないというのは、ものすごく具体的かつシステマティックな話なんだと思う。

病床の哲人が被治療行為を装いながら数多の看護士をプロファイリングした結果、「人の役に立ちたい」とか「人の世話をするのが好き」などと無邪気に述べる者にプロはいないという。もっともだと思う。看護士に限った話ではないだろう。

そこには単に満たされるべき空隙として「己の無価値感」があり、人の役に立ち感謝されることでその空隙を埋めようという無自覚な意図があるだけだ。平たく言えば自分がいい人だ、優しい人だという評価を得たと認識することが目的なのであって、患者の痛みや不安を取り除くことが目的ではない。もちろん、多くの場合は「いい人」「優しい人」になるためのプロセスとして患者の痛みや不安を取り除かざるを得ない場面は多々ある。だが畢竟、彼女(彼)は「奪う」人だ。自分の持ってきた空っぽの器を患者と接することで満たして帰るのだ。

一方、プロの看護士が持つのは患者の痛みや不安を取り除いてあげたいという意志だ。そこには満たされるべき空っぽの器はないし、そこには「自分」すらいない。もっとも現実には0か100かではない。90の意志にも10の無価値感があったりしてしまうのだろう。

だがこれだけは言える。「人の役に立ちたい」と思った人はアクションを起こすのをやめて内省してほしい。本当に自分が望んでいるものは何なのか今一度考えてみてほしい。それが自己否定や無価値感ならそれをしっかり受け止めてほしい。皆が心底自分がしたいことだけをしていれば世の中悪くなるはずがないというのはそういうことだ。

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