「ヒアアフター」のメイキングで双子の弟マーカスの涙がCGであることが明らかにされている。大画面で見てもそれとはわからない「リアル」な涙だった。
このメイキングを見て思い出したのは、撮影の際、炬燵の中に火のついた炭を用意させたという溝口健二のエピソードだ。もちろん炬燵の中にカメラが入ることはない。「ヒアアフター」のマーカスの涙がCGだったこと。「赤線地帯」の炬燵の中に炭が入っていたこと。事後的に知っても認識は変わらない。私たちは結局私たちの認識がリアルでもフェイクでもあり、リアルでもフェイクでもないかもしれないという出発点に立ち戻る。
ここで気付かされたのは、津波で流された「誰か」とマーカスの涙をイーストウッドは区別していないということだ。多くの観客は一瞬でもそこにイーストウッドの倫理的欠如を見出したのではないだろうか。だが、津波で流された人々がCGでよくて、大写しにされた子どもの涙がCGであってはいけない明確な理由を私たちはしらない。それは私たちのモラルの浅薄さをあっけらかんと丸裸にする。イーストウッドはこう考えているのだろう「いい嘘も悪い嘘もない。最初からすべてが嘘なのだから」。これは教訓でもメッセージでもなく、ただ最初からそうなのだ。
アーティフィシャルな虚飾に向こうを張って自然らしさが顕揚されても、どちらもイデオロギーでしかない。そもそも、自然とは「追求」の対象になるような状態ではないはずだ。私はイーストウッドがアンチエイジング産業を批判したその日にボトックス注射をしていても驚かない。むしろ快哉を叫びたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿