2010年2月20日土曜日

インビクタスを見たのは2週間前か

整備された芝のグラウンドでラグビーの練習に打ち込む白人たち。南アフリカのナショナルチームだ。そして通りの向こう側ではでこぼこの土の上で裸足でサッカーボールを蹴り合う黒人の子供たち。

通りを数台の車が通り過ぎると黒人たちがにわかに色めき立つ。車には刑期を終え出獄したネルソン・マンデラが乗っている。通り沿いの金網にしがみついてマンデラコールを繰り返す黒人の子供たち。数分でこの映画に必要な南アの時代背景、政治状況などを説明しきっているシンプルで力強いオープニングだ。

さらにこの映画の輪郭を明確にする素晴らしいシーンがマンデラ就任直後、早朝散歩のシーン。まだ世が明け切らない薄暗い中、官邸の外で二人の黒人SPが待っている。時間通りに官邸から日課の散歩に出るマンデラ。そこにかなりのスピードで走る一台の黒いワンボックスカーがカットバックで映し出される。一気に緊張感が高まる。結局、マンデラは無事散歩を続けることができるんだけど、この過剰かと思えるほどのサスペンスフルなシーンが冒頭の数分のところに入ることで、この映画の残り100分が全く気の抜けないものになっている。

こうした説明とか印象づけとドラマが有機的に結合して完璧な構築物を作り上げていく。これこそが映画だといわんばかりの堂々たるたたずまい。なぜ映画を撮る者のすべてがこのように撮ろうとしないのだろうかと思わせるような強さ。

また、ディテールになるが、「ミリオンダラー」以降ということになるのだろうか、イーストウッドが異常なくらいその描写に冷徹さをもっているのが「家族」の関係だ。SPの間で家族のことを聞いてはいけないという不文律ができてしまうほど、プライベートに問題を抱えているマンデラの「国民が家族だ」という言葉が強がりでしかないように聞こえてしまうのは、娘と妻との断絶があるからだろう。

終始鉄人ぶりを発揮するマンデラが見せる人間的な弱い一面ということになるが、この描写が共感を生むとか、よりマンデラの魅力が増すといったことには全く貢献していない。これほど一国の長にふさわしい男がなぜか一家庭の長にはふさわしくないという単なる事実。それは誰しもが欠点を持っているというような一般論ではなく、また、大統領としては立派だが…と逆説で語られるような事柄でもない。物語的にはマンデラの内奥を深めているといえなくもないのかもしれないが、イーストウッド的命題としては単に不可避な不協和音としてそこに存在しているようだ。

既に多くの人に語られているように、モーガン・フリーマンもマット・デイモンもSPの役者たちも素晴らしい。スタジアムの一体感に観客を巻き込んでいくような臨場感も尋常ではない。こんなクオリティーの映画をここへ来て年2本のペースで撮っているイーストウッドも明らかに常軌を逸している。スペースカウボーイ的な軽さをもった娯楽映画として消費されることにしくはなしといった御大の姿勢に、逆にすごみを感じてしまう。

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