最近読み始めたブログ(http://www.kaynotes.com/)の記事で触れられていたことなんだが、ビートルズの「Help!」の冒頭にこんな一節がある。
When I was younger, so much younger than today
I never needed anybody's help in any way
歌詞は知っていたものの意味を深く考えたことはなかったが、改めてその意味を考えるにつけ、同じことを歌っている歌があったことを思いだした。
小さい頃は神様がいて不思議に夢をかなえてくれた
松任谷由実の「やさしさに包まれたなら」だ。平たく言えばどちらも幼少期の万能感を歌った歌と言えるだろうか。
最近出張先で、蝉の抜け殻を集めている子どもを見て、自分もかつては平気でそこら辺にいる生き物を触ることができたなぁと振り返った。蝉もカナブンも蝶もコオロギもカマキリもバッタもトンボもダンゴムシもハサミムシもクモもみんな平気だった。それなのに今はこうして文字にするだけでも少し皮膚がざわざわする。鳥(インコを飼っていた)もザリガニもカメもカエルもトカゲもヤモリもミミズも平気で触れた。コウモリやモグラを捕まえたこともある。今も頑張れば触るくらいならできるかもしれないけど、やはり拭いがたい抵抗感がある。もっと正直に言えば、それらの生き物たちは今や嫌悪や恐怖の対象ですらある。
この抵抗感はいつどのようにして生じたのか? 触ること自体、フィジカルにはまったく不可能ではないのだから、100%メンタルの問題ということになる。おそらく、子どもの頃にはなかった「気持ち悪い、汚い、怖い、痛い、危ない等々」のフィルター(常識、社会通念、集合無意識)を徐々に獲得してきたからなのだろう(トラウマは別にして)。
こうして僕らは僕らの持っていた「実感」から遠く離れて「自分のものではなかった感覚」に侵されてきた。否、感覚ではなく概念と呼んだ方が正確だろう。良しにつけ悪しきにつけ、概念のフィルターを増やしていくこと、僕たちの生には多分にそうした側面がある。増えたフィルターが減ることは、まずない。
おそらくこうしたフィルターの増加による感覚の変化はあらゆるところに及んでいるはずなのだが、その変化があまりに緩やかなので、また、検証する機会が少ない(それはどんどん周囲との齟齬を生じさせないという形で変化していくのだから)ので、なかなか自分では気づくことができない。こうやって僕らは無自覚に概念のフィルターを増やして、目を曇らせ、耳をふさぎ、対象のありのままの姿から遠ざかる。対象から遠ざかることで、それは必然的に怖れと不安をかきたてるものになる。だから、最も不安と恐怖に彩られた瞬間、それが「今」なのだ。
When I was younger, so much younger than today
I never needed anybody's help in any way
歌詞は知っていたものの意味を深く考えたことはなかったが、改めてその意味を考えるにつけ、同じことを歌っている歌があったことを思いだした。
小さい頃は神様がいて不思議に夢をかなえてくれた
松任谷由実の「やさしさに包まれたなら」だ。平たく言えばどちらも幼少期の万能感を歌った歌と言えるだろうか。
最近出張先で、蝉の抜け殻を集めている子どもを見て、自分もかつては平気でそこら辺にいる生き物を触ることができたなぁと振り返った。蝉もカナブンも蝶もコオロギもカマキリもバッタもトンボもダンゴムシもハサミムシもクモもみんな平気だった。それなのに今はこうして文字にするだけでも少し皮膚がざわざわする。鳥(インコを飼っていた)もザリガニもカメもカエルもトカゲもヤモリもミミズも平気で触れた。コウモリやモグラを捕まえたこともある。今も頑張れば触るくらいならできるかもしれないけど、やはり拭いがたい抵抗感がある。もっと正直に言えば、それらの生き物たちは今や嫌悪や恐怖の対象ですらある。
この抵抗感はいつどのようにして生じたのか? 触ること自体、フィジカルにはまったく不可能ではないのだから、100%メンタルの問題ということになる。おそらく、子どもの頃にはなかった「気持ち悪い、汚い、怖い、痛い、危ない等々」のフィルター(常識、社会通念、集合無意識)を徐々に獲得してきたからなのだろう(トラウマは別にして)。
こうして僕らは僕らの持っていた「実感」から遠く離れて「自分のものではなかった感覚」に侵されてきた。否、感覚ではなく概念と呼んだ方が正確だろう。良しにつけ悪しきにつけ、概念のフィルターを増やしていくこと、僕たちの生には多分にそうした側面がある。増えたフィルターが減ることは、まずない。
おそらくこうしたフィルターの増加による感覚の変化はあらゆるところに及んでいるはずなのだが、その変化があまりに緩やかなので、また、検証する機会が少ない(それはどんどん周囲との齟齬を生じさせないという形で変化していくのだから)ので、なかなか自分では気づくことができない。こうやって僕らは無自覚に概念のフィルターを増やして、目を曇らせ、耳をふさぎ、対象のありのままの姿から遠ざかる。対象から遠ざかることで、それは必然的に怖れと不安をかきたてるものになる。だから、最も不安と恐怖に彩られた瞬間、それが「今」なのだ。
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