「ツリー・オブ・ライフ」 テレンス・マリック
生命の叙事詩的な壮大な側面を切り捨てて、単純に親子物と言いきってしまいたいという誘惑に駆られる。というのも、父ちゃん母ちゃんの物語として過不足なく描かれている上に、「生命の一大叙事詩」から末端組織としての「ある人間の親子」へのリンケージが希薄なのだ。かといってそれがうまくリンクしていたからどうだという話でもある。
僕は素直に「父ちゃん母ちゃんの物語」として悪くなかったと認めたい。音楽家としても技術者としても成功することができなかった父親の複雑な人物像は魅力的だし、その彼が望んでいた「成功」を、疑いつつも手に入れた長男が、深層心理と思しき砂漠や海の浅瀬で少年時代の自分や家族と見せる和解のシーンは感動的だ。
見よう見まねのギターで父のピアノとセッションし、水彩画では自由な色彩感覚を見せる弟に対する嫉妬の抑制された描写が長男の不器用さ輪郭のくっきりと浮かび上がらせている一連のシーンは素晴らしい。おそらく彼がその後数十年にわたりルサンチマンに生きざるを得なかったことを想像させる。そして不意に訪れた解放である。
この「物語」を因果関係で読み解こうとするとたちまち「難解」さが立ち現れるだろう。なぜ、おそらくはずっと父の影響下で成長した長男と父(生きているのかいないのかも示されていない)との和解が可能だったのか。その契機をこの映画はまったく描いていない。なぜなら理由など必要ないからだ。「和解」は少年時代に生じた「不和」に内包されるようにしてただあった。不和の中に播かれた小さな種が実を結んだのだ。
支配が前提であったような世界で解放は必ずしも僥倖とは言えない。それはリテラルに目眩のように彼の足下を揺らし高層建築を揺らす。彼は自分が解放を望んでいたことを忘れてしまっていたのだ。この解放が彼に何をもたらすのかはわからない。ただ、それが彼の世界を変えたことをただ祝福したい。
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